9 犬たちの家路
その時、ぼくの前に、何かが立ちはだかった。外に待機していた犬たちだった。
犬たちの先頭に、アフガンハウンドとウィンキーがいた。
そうか、ウィンキーが外に出て、外にいた犬たちを誘導したんだ。
警備員は廊下の隅から隅まで犬だらけという光景を目の当たりにして、急におびえだした。
ぼくは警備員の腕を払いのけ、犬たちのほうへ走っていった。
犬たちはいっせいに警備員に襲いかかった。白衣の男たちも廊下の反対方向へ逃げ出した。
「ぼうや、だいじょうぶかい?」
アフガンハウンドはぼくに近づいてきて、心配そうに言った。
それから、ぼくと犬たちは残りのケージの中の仲間たちを助け出した。
「さぁ、こんなところ、さっさとおさらばしようぜ」
自由になった犬たちは一斉に駆け出し、カブトムシに似たこの研究所から逃げ出そうとした。
その時だった。急に犬たちは前足で頭を抱え、地面にひれ伏した。そして、苦しみながら地面をのた打ち回った。
屋上を見上げると、金ぶちめがねが柵から身を乗り出して、犬たちが苦しむ様子を見ていた。研究所からより強力な怪音波が発信されたのだ。
犬たちはなお、もがき苦しんでいた。
金ぶちめがねはニタニタ笑いながら言った。
「簡単に逃げられるとは思うなよ。 まだまだお前たちには、わが社の役に立ってもらわないとな」
人間であるぼくは音波の影響を受けなかった。しかし、犬たちの苦しむ様を見て、強い怒りを感じた。
屋上にでっかいパラボラアンテナが見える。
「クソッ、あれをぶっ壊してやる」
ぼくは建物の外階段から屋上に駆け上がった。
金ぶちたちはぼくが近づいたことに気づかずにいた。
ぼくはそっと発信機に歩みより、屋上の壁に掛けられた、電気ボックスを開いた。
中に回路が見えた。全然分からないけど、壊せばどうにかなるだろう。どうすれば回路を壊せるか考えた。
回路は手で引っぱっても壊れないくらい、頑丈なケーブルが並んでいた。
ペンチもないし、石ころすら手に入らない。何かバッテリーのついた電子機器があれば、ショートさせることができるかもしれない。
ぼくは胸ポケットのわんダフルを取り出し、裏ブタを開いてみた。
基盤がむき出しになり、黒いバッテリーが見えた。
これで回路をショートさせたらどうだろう。ショートするかな?
これはシロウトが考えても、ものすごく危険。しかし他に手段がない。
グズグズしていたら、また金ぶちたちに捕まっちまう。
ぼくはわんダフルの回路をむき出しにして、思い切り電気ボックスの基盤に押し当てた。
基盤から火花が出て、ぼくの体にもしびれがきた。
で、電気ウナギを捕まえるのと、ど、どっちがしんどいかな。
き、きっと、で、電気ウナ、ウナギのほうが、おおおお、シビレがシビレルゥ…。
「あっ、こぞう。何しやがる」
金ぶちたちが気づいて、こっちへ走ってきた。
次の瞬間、ぼくは強烈なめまいに襲われた。
ダメだ、手を離さなきゃ。
手、手が離れない。
ぼくは息が苦しくなり、その場に倒れこんでしまった。
どんどん気が遠くなっていく。
薄れてゆく意識のどこかで、金ぶちたちの悲鳴が聞こえた。
金ぶちたちが床に倒れ、頭を抱えてのたうち回る姿が見えた。
ぼくも頭が痛い。吐きそうだ。目の前が真っ暗になった。
そして金ぶちたちの悲鳴も遠くなっていった。
くそっ、いったいどうしたっていうんだ。
ここはどこなんだ。ぼくは感電死したのか?
気がつくと、ぼくはばあちゃんちの布団の中にいた。
おどろいたことに、布団のまわりには大勢の犬がいて、ぼくを取り囲んでいた。
ばあちゃんがぼくの顔をのぞきこんで言った。
「ヒデト、やっと気がついたんだね」
「ばあちゃん、ぼくはどうしてここに」
「ああ、ここにいるワンちゃんたちが抱えてきたんだよ」
ぼくはあらためて犬たちをみた。
犬たちの背中に担がれて、ここまで運ばれてきたとばあちゃんが言った。
犬たちは心配そうな目をして、ぼくを見ていた。
ウィンキーがぼくの目の前にいた。
その横にアフガンハウンドも座っていた。
ぼくはアフガンにたずねた。
「研究所の犬たちはどうなったんだ?」
アフガンは小さく吠えた。
ぼくはハッと気づいた。
そうか、もう「わんダフル」は壊れちゃったんだ。
犬たちの中から 倉庫の中で会ったむく犬が前に出てきた。
「君が無事だってことは、みんな助かったってことなのかい?」
ぼくはむく犬にたずねた。
むく犬はゆっくりとうなずいた。
僕は布団から起きだして、窓辺まで歩いた。
窓の外を見ると、庭先から畑のあぜ道までびっしりと犬たちで埋まっていた。
まるで犬だらけの観客席を見下ろしている舞台俳優のような気分だった。
僕はなんだか目頭が熱くなってきた。
「あっ、あれはどうなった?君たちを苦しめていた、あの怪音波は」
ぼくは足元のウィンキーにたずねた。
ウィンキーがぼくのズボンのすそをくわえて、何度も引っぱった。
ウィンキーの後について歩いていくと、居間のテレビの前にやってきた。
「ばあちゃん、テレビのリモコンを貸して」
「あいよヒデ坊」
ばあちゃんからリモコンを受け取ると、テレビのチャンネルを次々とかえてみた。すると、あの研究所のニュースをやっていた。
「今日午後二時ごろ、阿蘇市全域で吐き気やめまいを訴える人が出て、次々と病院へ運ばれました。これらの症状を引き起こす怪音波が阿蘇の山奥から発信されていたことが、警察の調べで明らかになりました。原因とされる音波は、阿蘇にペットフード工場を来年建設予定のダイエット・ビューティー社の研究所屋上から発信されたもようです」
画面にはあのカブトムシの建物が映し出され、屋上のパラボラアンテナの周囲を、警官たちがぐるりと取り囲んでいた。
「また、この企業については、以前から犬にストレスを与える音波や催眠広告を流していると、告発する団体もあり、警察ではこういった情報も含めて、事実を究明していくと述べています」
ばあちゃんはテレビの前までやってきて、びっくりしたように言った。
「あれ、これはすぐ近くの研究所のことじゃねぇか。 何かおかしいと思っていたけど、やっぱりこんなことをしでかしたてたのかい」
ぼくと犬たちは無言でうなずいた。
きっと「わんダフル」でショートさせたとき、犬向けに合わせてあった周波数が、人間が気持ち悪くなるような周波数に変わってしまったんだろう。
ぼくが倒れたのもたぶんそのせいだ。本当に感電してたら、一瞬で死んでるもんな。
でも考えてみれば、ダイエット・ビューティーのやつらは、今日までこんな苦しみを平気で犬たちに与え続けてきたのだ。
ぼくは人間の代表として、心から犬たちにすまなく思った。
人間は馬鹿だ。特に金もうけばかり考えて、心を忘れてしまった人間は大ばか者だ。
「もう外に出ようよ」
ぼくはテレビを消して、中の犬たちと外に出た。
外で待つ犬たちの前で、ぼくをここまで運んでくれたお礼を言った。
もうひとつ、どうしても言わなきゃならないこともあった。
「これからどんな風に生きるかは君たちの自由だけど、僕は元の飼い主のところに戻ったほうがいいと思うな」
犬たちの目は、次々とぼくを見上げた。
「もし今でも君たちが飼い主のことが好きだったらね。人の心を信じておくれよ」
犬たちはゆっくりと体を起こし、一匹、また一匹と、すたすたと歩きはじめた。
たくさんの犬の姿が、ばあちゃんの家から散り散りになり、やがて全ての犬がその場から立ち去っていった。
それぞれの家路へと歩いていったんだ、と思う。
そうであって欲しいけど…。
犬たちを見送りながら、ばあちゃんはボソッと言った。
「今は保護施設ってのもあちこちにあるらしいけど、あれはどうなのかねぇ」
「うーん、どうかな。良いところも悪いところもあるんじゃない?」
「今どきは、犬もいろいろと大変だねぇ」
「昔はどうだったの」
「のら犬って生き方もあったんじゃ」
「のら犬がいたの?」
「いてもよかったんじゃよ」
「ふーん」
ぼくとばあちゃんとウィンキーは、帰って行く犬たちの姿が見えなくなると、家の中に入った。
夕食を食べながら、犬たちを助けるとき、感電したことを話した。
「ああ、ヒデ坊。こりゃ、えらいこった」
ばあちゃんはあわててタクシーを呼び、ぼくは町の病院まで連れて行かれた。
わんダフル!ビューティー
終わり
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