ネクロバズとむくつけき勇者たち　13　オットーの告白

13

オットー所長はベンチに座り、足首にアンクルウエイトを巻いて、ゆっくりと屈伸運動をしていた。

リプリーは所長の前に立ち、ニヤニヤしながら言った。

「何だ、コサックダンスの練習か？」

「笑わせるな、リプリー。これは本当に重たいんだ」

どこへ行っても、くだらない男はくだらないことしか言わない。オットーは三十回を数えて、その運動をやめた。

「ケンジも来ているのか？」

オットーは言った。

ケンジはオットーの様子を見て、少し安心した。

しかし、立ち上がる時、杖が必要だった。ケガは右膝で、ギプスはなかったものの、包帯の上にサポーターで固定してあった。

「大丈夫だ。骨折じゃない」

オットーは無理に笑顔を作った。

彼は壁際のベンチに二人を促した。

リハビリ室には、大勢の年寄りがいた。

ある者はのんびりと室内を歩き回り、ある者はマットレスの上でヨガをしていた。

「ところで、あんたがけつまづいた場所について、もう一度詳しく説明してくれないか？」

リプリーは、タオルで汗を拭いながらオットーに言った。

それにしても、デカイ声に下品な表現。

「その『けつまづく』という表現はやめろ。私は化け物に殺されかけたんだ。いくら非番だからといって、ふざけたことばかり言うな」

「俺はいつでも真面目だし、真剣だ」

「だったら真剣になるな」

二人は無茶苦茶なことを言い合っていた。

ケンジは二人を黙って眺めた。

オットーは以前よりかなり痩せていたし、神経質になっている。

黄色いアルファベット文字がプリントされた、白いスウェットスーツを着ていた。

いったい誰が彼の着替えを調達したのか、ケンジは少し気になった。

「お前が教えてくれた、例の場所に着いたのは金曜日の午後だ。リプリー、お前という奴は、物事を簡単に言い過ぎる。お前が言った場所にたどり着くのに、どれだけ手間がかかったと思うんだ。レンタカーを借りたり、登山服を着込んだり」

「経費はオレに言えば、署で何とかする。心配いらない」

「金の問題じゃない。このオイボレをあまりこき使うな、と言っているんだ」

「話を続けてくれ。俺が気に入らんなら、この顔を張り倒すんだな」

「正直言って、お前が気に入らんから、話を渋っているわけじゃないんだ、リプリー」

「僕が側にいるからですか、所長」

ケンジが言った。

「それもある。しかし、それだけじゃない。このまま話を進めるのが怖いんだ。とにかくお前たちが信じてくれるかどうか、自信がないんだ」

リプリーは苦笑した。

「病室でアンタが化け物のことを言ったら、俺は恐ろしい顔で看護婦たちに睨まれたよ。『この方は病人です。あまりこみ入った話は避けて下さい』ってね。確かに看護婦たちはあんたの言動を監視しているみたいだ」

リプリーは怯え始めたオットーにタバコを差し出した。ケンジは何か灰皿になるものがないか、リハビリ室を見渡した。

当然ながら灰皿などない。タバコを吸いたきゃ、さっきの喫煙室に戻るしかない。リプリーはタバコをポケットに仕舞った。

オットーは半分かすれたような小声で、リプリーに何かを話し出した。

ケンジも耳を済ませたが、よく聞こえなかった。声をひそめているのだ。

しばらくして、リプリーは目尻を上げ、次第に顔を紅潮させた。

オットーはベンチに座ったまま、視線を床に落としたまま、呟いていた。

リプリーは苛立っていた。舌打ちするのが聞こえた。

相手がケガ人だということも忘れるような男だ。

「おい、何だって。声が小さいな。もっとはっきり言うんだ。その生き物はいったい何なんだ」

リプリーの大声に、リハビリ室の人々は驚いていた。

オットーは苦しげに言葉をつないでいたが、ケンジにはよく聞き取れなかった。

オットーの呼吸が苦しげだった。

リプリーは仕方なく職員を呼んだ。

部屋の隅から、ユニフォームを着た若い男が駆け寄ってきた。

「急に苦しみだしたんだ」

リプリーが言った。

彼はリプリーとケンジに対して、無表情に言った。

「この方は、リハビリで疲れたんじゃないですかな」

男は車椅子を持ち出してきて、オットーを座らせた。

オットーは、まるで身体を冷却する必要があるように、大きな呼吸を繰り返していた。

「医師に診てもらった方が良さそうですね」

「大丈夫だろうか」

さすがにリプリーも心配していた。

「ご親族の方ですか」

「ああ、俺は弟だ」

リプリーは嘘をついた。

「ドクターに診てもらいましょう」

若い男は看護師だった。彼の対処は冷静だった。

彼はリハビリ室長に会釈して、オットーを診察室に連れて行った。

二人もオットーと看護師の後についていった。

診察室の前で、彼は訊いた。

「ハエの話をしていたんでしょう」

リプリーは低い声で答えた。

「よく聞き取れなかったが、そんな話をしていたようだ」

「ハエに襲われたのが事実かどうか、私には分かりませんが」

彼はひと息ついて、リプリーの眼を凝視した。

「この病院では、この方が精神に異常をきたしているという見方をしているようです。私はそうは思わないんですが」

二人は車椅子で喘いでいるこの初老の男が、気の毒に思えてきた。オットーは、何かに襲われて、恐らく本気で怯えていたのだ。

「膝が回復したら、この人を連れ出したほうが良さそうですね」

「退院させたほうが良いということかい」

「そうです」

「君は上司やスタッフを信頼していないのか」

リプリーは職員に尋ねた。

「この方はまともだと思うんです。そう思いませんか？」

「そう思うか？」

「このままここにいれば、退院が難しくなるかも」

「君はなかなかしっかりしてる。俺の若い頃そっくりだ」

「今のはご内聞に」

看護師はそう言って、診察室にオットーを連れていった。

「何を怖い顔しているんだ、ケンジ」

「病院勤めも色々複雑なんだなと思って」

ケンジは言った。

「いや、俺にだまされたんだよ。弟だと名乗ったからな」

「退院させたほうがいいとか言っていた」

「いいアドバイスじゃないか。あの若者の言う通りにしよう」

「所長が精神に異常をきたすワケがないよ」

「お前、本当にオットーを尊敬しているんだな。立派だよ、ケンジ」

二人は目を合わせ、苦笑した。

廊下の脇のベンチに腰を下ろした。リプリーはケンジに言った。

「近くに安いホテルがある。退院できるまで、オットー所長の世話をしてやってくれ」

　

つづく

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