30
オットーとケンジは、研究所の事務室のデスクでコーヒーを飲んでいた。
オットーは毎年、年明けに研究所でコーヒーを飲むことにしている。今年はケンジがその相手だった。少し疲れた様子のオットーだったが、ジョークを連発していた。
ケンジはそんなオットーを見て、少し安心した。
二人がそれぞれしみじみと物思いに耽っているころ、電話が鳴った。
オットーがそれに出た。
「ああ、そうだね。でも、まだ仕事が片付いていないんだ」
オットーにしては珍しく、柔らかい声で話している。
電話を切ると、ケンジが尋ねた。
「誰からですか?」
オットーは少し戸惑いながら、北の方角を指した。
「あの看護師さんですか?」
「うん」
「彼女、いくつなんですか?」
オットーは右手で「4」、続いて両手で「8」を示した。四十八歳と言えばいいのに…。
ケンジはオットーの格好を見た。
オットーの持つコーヒーカップに、スヌーピーがタバコを吸っている絵柄が見えた。二人のカップにもスヌーピーのイラストが入っている。
この調子だと、この人はパンツから歯ブラシ、果てはトイレブラシまで、あの犬に占領されてしまうんじゃないかと、危惧してしまうケンジだった。
再婚するつもりかとは、ケンジもさすがに訊けなかった。
あのロマンスグレーの髪。知的で渋い顔立ち。性格もクールだ。
あまりにも、ニヤけた時のギャップが大きすぎる。
ケンジには、この二枚目の顔が崩れる様を直視できそうもなかった。
ウソだろ、オットーが再婚だなんて。
ケンジはオットーの顔をじっと見つめた。
リプリーも救いようがないけど、所長だって気の毒だ。あんな少女趣味の年増と結婚しなくても…。
ん、俺にとっては年増でも、オットーには、一回り下なんだよな。
ダンディの晩年は、意外とそんなものなのかもしれない。
「どうした、ケンジ。複雑な顔をして。頭痛か?」
「いや、別に。所長はもう身体の具合は大丈夫なんですか?」
「大丈夫だとも。処方薬はもう飲んでいない。看護師からたくさんもらったが、もう必要ない」
「それは良かったけど…」
オットーはデスクの引き出しから、チェインバーグ市立病院の薬袋を取り出して、ケンジの手元に放った。
「あの看護師から怒られますよ」
「捨ててきていい」
「知りませんよ、そんなもの」
「飲まなきゃならんのか?」
あの看護師め、退院後も薬で管理しようとするなんて、やっぱり看護婦じゃなくて”監獄婦”だな。薬の押し売りのあとは、保険の営業も始めるんじゃないか。
ケンジは酒の酔いも手伝ってか、老人の恋を手放しで喜ぶ気にはなれなかった。
つづく
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