30
夜半、ウインドベルの研究所の通りに、黒いアウトランダーが止まった。
中にいる男は、上気した赤い顔をしていた。
男は後部席から、ゴルフバッグを担ぎ出した。
研究所の門をくぐり、建物の裏手に向かって歩いた。
酔っている様子だった。それでも足取りはしっかりしていた。
男は狩猟用のベストを身につけていた。
裏手に回り、通りから彼の姿が見えない位置にくると、バッグを肩からおろした。
中から出てきたのは、レミントン社のライフル銃だった。
ライフルを右肩に掛け、彼はベストのポケットから、ウイスキーのーパイント瓶を取り出した。
瓶から直接飲むと、焼けるような感覚が喉を伝わった。
脳に軽い衝撃が起きた。
幻覚が起きてくれればいい、と彼は思った。
幻覚が起きて、女神が俺をなぐさめてくれれば、それくらい有り難いことはない。
だけど、そんなものは現れなかった。
緊張は幾らか解けた。逆に興奮は高まるばかりだった。
苦い液を口の中でもてあそび、彼は思った。
こいつが俺を駄目にした、と。
ある種の人間はアルコール潰けになると、自分が神になったような錯覚に見舞われる。
彼らは人々が自分を恐れているような幻覚を覚える。
それはまず彼の挙動に現れ、人
々は彼の異常を知る。
呼気、眼差し、挙動、言動…明らかに不快な人格に入れ替わっている。
当然、人々は警戒する。
彼の錯覚は現実と交錯し、赤ら顔をした神はやがて思いもよらぬ行動に走るのだ。
トレーシーの目に神の光が灯りつつあった。
彼は十年前、そんな状態で殺人を犯した。
心の独白が脳内に流れていた。
パルチノンの親父さんは、こんな俺を更生させるつもりだったんだ。
それは疑いたくない。
だが、これで終わりだよ。
あの息子がウインドベルで失敗してからというもの、俺は尻拭いばかりやらされている。
でも、これで終わりだよ。
俺は仕事が終わったら、ビールでも飲んで、良い気分で橋から落ちて死んじまうつもりだ。
そいつが一番いいんだ。
視界が狭窄してゆく。
視線は研究所の窓に釘付けになった。
一階の窓には鍵が掛かっている。
とにかく中に入るんだ。
トレーシーは建物を見上げた。
二階の窓が開け放たれていた。
彼は裏手の物置によじ登り、二階の窓枠をつかんだ。
身体を引き寄せ、片足を建物に入れた。
ライフルが邪魔で仕方がなかった。
つづく
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