ハローワークを出ると、僕はビル街をぶらぶらと歩き始めた。

近くには、すぐに面接してくれる老人ホームがあるらしい。一時間後に担当者と会う予定だった。

空はどんよりと曇っている。この街に来て、もう三年になる。

パソコンが好きで、ゲーム開発に携わりたくて、この街のゲームアプリ開発会社に応募し、入社した。

しかし、半年後に会社は倒産。

仕方なく次の仕事を探したものの、東京へ行くか、この街で別の職種を選ぶか、難しい選択を迫られた。

東京に行きたかった。だけど、僕を受け入れてくれる会社はなかった。

プログラミングスキルは正直、お粗末なレベルだ。

そして何より、どの会社も口にはしないが、僕の難聴がネックになっているのは間違いない。

僕は繁華街をとぼとぼ歩く。

ふと目をやると、賑やかなオープンカフェの前に人だかりができていた。

背の高い男性がフェイスシールドをつけ、手話をしている。その横で、マスクをした人物がマイクを握り、演説をしていた。

どうやら、マスクの男の話を手話通訳しているらしい。

僕は足を止め、目を細めて手話通訳を読み取った。

「政府の説明には明らかな欠陥があります。私は医師として、ここで声を上げます。あれは見え透いた嘘です。肝心なことを隠しています。新型ウイルスは地球上で発生したものではなく、地球外から持ち込まれたものです。ではなぜ隠蔽されるのか?それは利権のためです。資本家や有力者が、さらなる利益を得るために、地球の人々を犠牲にしているのです」

演説者は確かに医師に見えなくもなかった。

スピーカーの周りには十数人の聴衆が集まり、二人組の男女が手話者の前で神妙な顔をして立っている。たぶん、ろう者のカップルだろう。

「このウイルスによるパンデミックで、聴覚異常を訴える人が増えています。こういった情報は、まだ皆さんには届いていないはずです。テレビでもまだ報道されていません。でも、実際はかなりの数になるんです」

僕は人混みに紛れ、演説の横で展開される手話を読み取った。

「地球人以外の何かが、人間の目の届かないところでウイルスを生み出し、流出させているという情報があります。そして、先ほど述べた聴覚障害は、ウイルスが長期間体内に留まり続けることによる影響だと思われます。さらに時間が経過すると、宿主細胞が特異な変異を遂げ…」

十分ほど話を聞いていたが、カフェの周辺が騒がしくなっていた。

パトカーが到着し、警官が二人、車から降りてきた。

医師と手話通訳者は、素早く群衆から離れ、路地へと姿を消した。事前にこうした事態を想定していたような手際の良さだった。

警官たちは辺りを見回しながら、「通行の邪魔になるので解散してください」と告げた。

彼らの鋭い視線が聴衆を追い払っていく。僕もその場を離れた。

僕には、このあと老人ホームの面接が待っている。ハローワークのカウンセラーから、施設はこの通りをもう少し歩いたところにあると聞いていた。

街には夕暮れが迫っていた。道の真ん中で、スマホをぼんやりと見つめる若者が立っている。

若者の側を通り過ぎた後、僕は何気なく振り返ってみた。

彼は生気のない顔でスマホの画面から視線を離さない。何かにぶつかったりする危険を感じたりしないのだろうか。

僕はまだ前の職場の近くにアパートを借りている。

しかし、離職後、家賃を払うのも厳しくなってきた。

ほとんど宿無し同然だ。熊本に帰るべきかどうか、答えは出ない。実際のところ、熊本でも暮らしていける…選り好みしなければ。

くまモン柄のネクタイを締めて面接に行けば、アチラの大抵の企業は採用してくれる、と聞いたことがある。冗談だと思うが…。


歩きながら、老人ホームの建物が見えてきた。

ビルに囲まれた公園の敷地にある、こじんまりとした二階建てのベージュの施設だった。

腕時計を見る。17時45分。まだ10分ほど時間がある。

僕は通りにあるベンチに腰掛け、深く息を吐いた。

事務所の窓に人影が見える。

これから30分、あるいは1時間、その建物の一室で、障がい者である僕が奇異の目に晒される。慣れてはいるが、なぜか今回は気が重い。

たぶん、仕事に気が進まないからだろう。

顔には出さないようにするが、それが一番大変だ。もう断ってしまおうか。介護は苦手だ。いや、やっぱり断ろう。

ふと空を見上げる。こんな都会の喧騒の中なのに、ホタルが飛んでいる。

と思ったら、よく見るとドローンだった。こんな時間に、誰が飛ばしているんだろう?

そろそろ時間だ。僕は意を決してベンチから立ち上がった。

施設はコンビニよりはるかに大きいが、スーパーよりははるかに小さい。玄関のインターホンを押すと、何かの声が聞こえたような気がした。カメラに向かって一礼し、「面接に来ました」と告げた。

やがてガラスの両開きドアが開き、黒いカーディガンとスラックス姿の年配の男性が現れた。

「失礼ですが、お耳が不自由と伺いましたが?」

開口一番、やはりそれを切り出された。予想通りだ。

「ええ、難聴です」

「マスク、外したほうがいいですか?」

「はい、できれば」

男性はマスクを外し、ポケットにしまった。パイプ椅子を広げ、事務所の一角に即席の面接スペースを作る。終業時間を過ぎたのか、他の職員の姿はなかった。

「履歴書、お持ちですか?」

僕は紹介状とともに履歴書を差し出した。

男性は事務長の加田崎と名乗った。履歴書に目を通しながら尋ねる。

「上司に確認する必要がありますが、介護の経験はあるんですね?」

急に威厳のある口調になった。

「はい、あります」

「熊本の介護型老人ホームで二年…手話もできるんですか?」

僕は頷いた。

「ほう」彼は何故かほくそ笑んだが、手話で会話を続ける様子はなかった。

加田崎は履歴書を持ったまま一旦部屋を出て、10分ほどして戻ってきた。

「了解が取れましたので、紹介状はハローワークに郵送しておきます。今から施設内をご案内しましょう」

展開が急すぎて戸惑う。「あの、私の耳のことは大丈夫なんでしょうか?」と尋ねた。

「もちろん伝えてあります。二年働いた経験があるなら問題ないだろうという判断です」

雇ってもらえる流れになっているようだが、これは本当に望んでいたことなのだろうか。

人は楽な方に流されるもの。ゲームプログラマーへの扉が少しずつ閉じていくような気がして、何となく胸が締め付けられた。

  
つづく

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