6 混線する夜

職員寮の住民たちは夜になると、テレビの置かれたフリースペースでくつろぐのが日課だった。

この寮のテレビは少し変わっている。モニターは普通の大型液晶ディスプレイだが、放送内容が独特だった。やたらと手話が多いのだ。

「アイドラゴン」と呼ばれるこの端末は、字幕や手話による放送をインターネット回線でリアルタイム配信する、聴覚障害者向けの福祉機器だった。僕も聴覚障害者だが、こうした機器を見るのは初めてだった。

フリースペースでくつろいでいるのは、ほぼ全員が聴覚障害者だ。彼女たちは時折顔を見合わせて頷き合ったり、手話で会話を交わしている。

この日は「難聴者のペットは犬と猫どちらが良い?」という手話トークが放送されていた。変わった番組だと思ったが、演者の手話を読み解いていくと、意外に興味深い内容だった。

いくら鳴いても吠えても反応のない難聴の飼い主に対し、体を擦り寄せたり顔を舐めたりしてスキンシップを図ろうとする猫や犬たちの健気な姿が動画で紹介されている。犬派と猫派に分かれた手話ディスカッションの結論は「どちらでも好きな方を選べば良い」というものだった。

番組の最後で聴導犬が紹介された。チャイムやアラームの音を教えてくれる補助犬のことだ。聴導猫というのはないらしい。僕は猫の方が好きなのに。

その時、突然テレビ画面がフリーズした。

画面は黒い背景に切り替わり、太ったスーツ姿の男が一人映し出された。男は懸命に手話で話しているが、画面ノイズがひどくて手話がよく見えない。

テレビの前にいた女子たちは顔を見合わせ、そのうちの一人がリモコンでチャンネルを変えた。しかし、どのチャンネルにも同じ男が映っていた。男のたどたどしい手話が続く。

〈分かる?あれ〉僕は平石に尋ねた。

〈…かろうじて〉平石は目を凝らして画面を見つめた。

接続が中断し、しばらく待機画面が続いた。黒い画面の中央で、接続準備中を示すマークがくるくると回り続ける。

〈ここのテレビ、いつもこうなの?〉

〈最近、こういうことがよくあるんだ。壊れたのかな〉

やがて画面が復旧したが、やはり同じ男の姿が映し出された。しばらくしてまた待機画面。そしてまた男が現れ、たどたどしい手話が再開される。

〈壊れてるのよ、このテレビ…〉

女子の一人が苛立たしげに席を立った。


手話放送にこだわらなければ、各自の部屋に普通のテレビがあるし、PCでYouTubeを見ることもできる。一人が部屋へ戻ると、連鎖的に何人かがテレビの前から去っていった。テレビを見たかったというより、食後にみんなで時間を過ごしたかっただけなのかもしれない。

最後に席を立った女性がこちらを振り返った。

〈いいよ、テレビ消しちゃって。僕らも寝るから〉

平石はその女性に手話で言った。女性はリモコンでテレビを消し、部屋へ戻っていく。

僕は平石に尋ねた。

〈ところで、あの男の話、何の話だったの?〉

〈ああ、あれね。ウイルスのことさ。ウイルスのせいで難聴者が増えてるって話だった〉

〈ウイルスって、コロナ?〉

〈いや、違うウイルスらしいんだよな〉

〈それなら、ここに来る前に僕も聞いたことがある。確か宇宙人のせいだという内容だった〉

僕は面接に来る途中、オープンカフェで出くわした演説のことを話した。

〈ああ、それだ、それ〉

平石は頷いたが、それ以上興味を示さず席を立った。

僕は平石を追いかけ話を続けた。

〈僕も宇宙人の話の部分で、ばかばかしいと思ったよ。あれは何なんだろう?フェイク動画かな?〉

平石は首を傾げるだけだった。

僕はテレビを指差した。

〈でも、なんでアイドラゴンに映っちゃうんだろう?〉

〈さあ、混線かな?インターネットは君の方が詳しいだろ?僕はもう寝るよ〉

そう言うと、平石はフリースペースから出て行った。

僕も自分の部屋へ戻ることにした。

部屋へ戻る途中、二階の廊下窓から、道路の街灯の下で二人の男が話をしているのが見えた。内緒話のように声を潜めているが、二人の表情は険しい。

二人には見覚えがあった。

僕はその一部始終を興味深く窓から見守った。やがて二人は話を止め、施設から少し離れた大きな建物に向かって歩き出した。

僕は二人が建物の中に姿を消すまで見続けていた。

つづく

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