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食事スペースでは、午後のレクリエーションの準備が始まっていた。

僕が現れると、そこにいたスタッフたちの表情がぱっと明るくなった。外の騒ぎに怯えていたのだろう。僕の無事な姿を見て、明らかに安堵していた。

近くにいた女性スタッフに「遅れてすみません」と詫びると、彼女は軽く頷いただけだった。

僕はお年寄りの個室へ車椅子を運びながら、頭の中でいろいろなことを考えていた。警察を呼んで事態を収拾したいが、騒動の張本人が警察なのだ。自衛隊もなぜかバディー化している。いったい誰を呼べばいいのか。消防団でも呼ぶのか?

それにしても船橋さんはどこに行ったんだろう。彼は公民館からこの施設の中に逃げ込んだ可能性が高い。この施設のどこかに潜伏しているはずだ。

そういえば、あの玄関にやってきた自衛官たちは、まだ施設の中を歩き回っているはずだ。きっと船橋を探しているに違いない。

「さっきの音、凄かったね。何があったの?」

部屋に着くと、小柄な老女がベッドに腰掛けて待っていた。車椅子に乗ると、彼女は僕を見上げて訊ねた。

「音?」

「ほら、パンパンパンって鳴ってたじゃない」

「ああ、そんなに大きな音でしたか」

何のことかすぐに分かったが、僕は曖昧に答えた。

「僕は耳が悪いので、あまり聞こえなかった。鳥でも追い払っていたんじゃないですか」

「きっとカラスね」

「そう、いたずらカラスじゃないですか。ホールにおやつが用意してありますよ」

「私、モナカがいいの。いつも無くなっちゃって困るの」

「それじゃ早く取りに行きましょう」

車椅子を押して、食事スペースへ彼女を連れて行った。

途中の廊下で、また武装警官とすれ違った。彼らはまだ施設を歩いている。

搬送中、老女は急に振り返って「また、音がしたわ」と言った。

僕は補聴器を付けていたが、音は聞こえなかった。

「パンパンって音?」僕は訊ねた。

「いいえ、何か倒れるような音。外の方から聞こえるわ。工事でもやっているのかしら」彼女は言った。

少し認知症がある、おしゃべりな女性だった。

確かに何か少し騒がしい気がする。

食事スペースに戻ると、施設内は異様な雰囲気に包まれていた。

介護スタッフは外を見ながら棒立ちになり、車椅子やテーブルにいた老人たちは、呆然と目を見開いていた。

外の景色がやけに明るく感じた。

ショベルカーの黄色いアームが、窓の外で上下運動を繰り返していた。

アームが振り下ろされるたびに、大きな振動が床に伝わってきた。

老女が言っていた倒壊音は、施設周囲の建物が取り壊される音だったのだ。

解体作業員たちは、白いヘルメットを被り、目元だけが見えるフェイスガードをつけていた。

彼らは警官だろうか、自衛隊員…いや、髪を染めている輩もいるから一般人かもしれない。

何の予告もないのに、なぜこんなことをしなければならないのだろう。施設の誰からも、工事の告知なんて聞かされていなかった。

施設スタッフのリーダー格の女性が、近くを通りかかった作業員を指さして、他のスタッフに問いかけている姿が見えた。

「何が起こったのかしら?」

同じフロアにいた女性スタッフが僕に訊いてきた。

「分からないです。何か急な取り壊しじゃないですか?」

「あなたが住んでいる寮は大丈夫なの?」

「えっ、寮って」

「近くにあるじゃない。何十台もの重機がやってきて、この辺りの建物を壊してるのよ」

「いったい何で?」

「分からないわ。外に出てみたら」

リーダー格の女性がやってきた。彼女は食事スペースからベランダに繋がる窓を指し示した。


「さっき事務長から指示があってね。お年寄りを自室から出さないように言われたの。せっかく連れてきたのに悪いけど、また部屋に連れていってちょうだい」

僕はテーブルに用意されたお茶菓子の皿から、モナカばかり5個選び、ユニフォームのポケットに突っ込んだ。

個室に戻ってくると、老女をベッドに移動させ、モナカを差し出した。

「あら、ありがとう。いったい何があったの?」

「いや、分かりません。今日はお部屋でお過ごしください」

老女は両手に持ったモナカをしばらく見つめたあと、出ていこうとする僕を手招きした。

「5個も食べられないわ。あなたも食べなさい」

老女は3個を僕の手に押し返した。僕は黙ってポケットに仕舞った。

「僕は他に行かなきゃ。何かあったらコールで呼んでくださいね」

食事スペースに戻り、さっきの女性スタッフに言った。

「ちょっと、寮の様子を見てきたいんですが」

「いいわ。気を付けてね」

職員出入口に向かい、シューズを履き替え、外に出た。

いつもなら、すぐ目前に二階建ての隣家が目に入るのだが、生垣こそそのままだったが、奥の建物はひどい有様だった。

一階部分の半分がフォークリフトで壊されていた。

住民らしき男性がフォークリフトによじ登り、運転席のガラス窓を激しく叩いていた。「止めてくれ」と言っているのだろう。

瓦礫の側に泣き叫ぶ家族の姿が見えた。

作業員は無表情で操作を続け、フォークリフトは家屋の壁を削り取っていく。

体格のいい若い作業員が駆けつけ、重機を阻止しようとしている一家の主を引きずり下ろした。

主は作業員に体当たりしたが、か細い身体は容易く跳ね返され、後から加勢してきた作業員たちに、袋叩きにあっていた。

上空にはドローンが何機も滞空している。ひょっとすると、あのドローンがこれを仕掛けているのか。地区の隅々までを搭載カメラで監視し、住民たちを追い出そうとしているのか。

でも、何で?

道路を歩くと、地区のほとんどの住宅が取り壊されているのが分かった。

まるで直下型の地震に襲われたようだった。

混乱と恐怖と怒りで、ないまぜになった顔で、人々は散り散りに路傍に立ち尽くしていた。

僕の暮らす寮も例外ではなく、ほぼ壊滅状態だった。

行き場を無くした羊の群れのように、寮の住民たちも瓦礫の中で肩を寄せ合っていた。

顔見知りの住人に駆け寄ってみたものの、皆言葉にならない様子だった。バッグやキャリーケースを抱え、呆然としていた。それぞれ持てるだけの荷物を抱えて部屋から逃げ出したらしい。

寮の敷地はまるで怪獣が闊歩したように、半分にえぐり取られていた。

僕の住んでいた二階部分も破壊されていた。

僕はしばらくそこにいた。

そこにいて、他の人々と同様に途方に暮れていた。

逃げることも考えたほうが良さそうだったが、どこへ逃げればいいのか分からなかった。

まだこの土地に来て一ヶ月だ。そんなに土地勘が働くわけではない。

つづく

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