第42話 解放の瞬間
僕たちは再び散開し、球場中央にそびえる巨大なパラボラアンテナを目指した。
平石と僕は、さっき確認したルートを使って球場内部へ入る。
あちこちに感染者の姿がある。
上空にはドローンも飛んでいた。
正面から行けば、たちまち囲まれる。
僕たちは物陰を利用しながら、球場の奥へ進んだ。
やがて、大きなシャッターの前に出た。
閉じている。
平石が手話した。
〈ここからは無理だな〉
僕は辺りを見回した。
〈監視制御室を探そう。別の通路が分かるかもしれない〉
球場内部は薄暗かった。
照明がところどころ消え、床には壊れた壁材や資材が散乱している。
曲がりくねった通路。
急な階段。
似たようなドア。
完全に迷宮だった。
しばらく進むと、一枚のドアを見つけた。
「関係者以外立入禁止」
プレートが掛かっている。
僕はしばらくそれを眺めた。
関係者ねえ。
ここまで来たら、もう僕たちも十分関係者だろう。
ドアを開けた。
中は監視制御室だった。
机の上に、業務用らしい分厚いノートパソコンが置いてある。
壁際にはいくつものモニター。
僕はパソコンの電源を入れた。
Windowsが立ち上がった。
デスクトップに監視システムらしいアイコンがある。
クリックすると、球場内の映像が表示された。
画面が十六分割される。
平石が大げさに手を叩いた。
おサルさんみたいだな。
〈見ろ〉
僕は一つの映像を拡大した。
巨大なパラボラアンテナが映っている。
その周囲には感染した警官や自衛官が集まっていた。
〈正面から行ったら囲まれるな〉
平石が言う。
〈別の道を探そう〉
二人で監視映像を一つずつ確認した。
少し遠回りになるが、感染者の少ない通路がある。
アンテナの基部近くまで行けそうだ。
〈船橋さんにも送っとこう〉
平石がスマホを取り出した。
監視画面を撮影して、ルートと一緒に送信した。
すぐに返事が来た。
『他のメンバーが感染者を引きつける。二人はアンテナへ向かってくれ』
続いて、もう一文。
『悪いが、俺はそっちへ行けない。さっきからひどく気分が悪い』
僕と平石は顔を見合わせた。
船橋は健聴者だ。
この一帯で、何らかの音響信号が流れているのかもしれない。
〈行こう〉
僕たちは制御室を出た。
球場内のあちこちで、青白い光が瞬いている。
ろうのメンバーたちが感染者と戦っているのだ。
彼らが敵を引きつけてくれている。
僕と平石は教えられたルートを一気に進んだ。
途中で何体か感染者に遭遇したが、3D銃で倒した。
やがて巨大なパラボラアンテナの基部にたどり着いた。
近くで見ると、とんでもなく大きい。
太いケーブルが何本も設備盤へ伸びている。
僕は辺りを調べた。
制御盤の横に、赤いレバーがあった。
「緊急時 主系統遮断」
そう書かれている。
〈これじゃないか?〉
僕は平石を呼んだ。
平石も表示を確認した。
〈たぶん、それだ〉
〈「たぶん」でいいのか?〉
〈他に何かあるか?〉
ない。
僕は赤いレバーに手を掛けた。
びくともしない。
横に安全ロックが付いている。
ロックを外す。
もう一度、両手でレバーを掴んだ。
その時だった。
平石が僕の肩を叩いた。
振り返る。
二人の警官がこちらへ向かってきていた。
顔色を見るまでもない。
感染している。
〈急げ!〉
平石が3D銃を構えた。
僕はレバーに体重をかける。
硬い。
後ろで青白い光が走った。
平石が応戦している。
僕は歯を食いしばった。
レバーが少しずつ下がる。
半分。
もう少し。
最後に全体重をかけた。
ガクン。
レバーが下まで落ちた。
同時に、アンテナ基部のランプが一斉に消えた。
巨大なパラボラアンテナが震えた。
モーターか何かが止まったらしい。
ゆっくりと動いていたアンテナが、その場で静止した。
平石を見る。
二体の警官が床に倒れている。
〈止まったぞ〉
僕は親指と人差し指でOKサインを作った。。
平石も同じサインを返した。
しかし、まだ安心できない。
〈離れよう〉
二人でその場を離れた。
*
球場の外へ出た。
僕はそこで足を止めた。
異様な光景が広がっていた。
感染者を引きつけていたレジスタンスのメンバーたちが、立ち尽くしている。
その足元には、警官や自衛官が何人も倒れていた。
〈どうした?〉
僕が尋ねると、一人のろう者が手話した。
〈急に倒れ始めたんだ。バタバタと〉
アンテナを止めたからだ。
やった。
そう思った。
ところが、一分も経たないうちに異変が起きた。
倒れていた男の手が動いた。
一人が身体を起こす。
また一人。
次々と警官や自衛官が目を覚ましていく。
僕たちは身構えた。
だが、様子が違う。
真っ赤だった目は、元に戻っている。
土気色だった顔にも血色が戻り始めていた。
彼らは周囲を見回した。
困惑している。
「……ここは?」
誰かの口がそう動いた。
別の警官が、自分の制服を見下ろしている。
どうやら、自分たちがなぜここにいるのか分からないらしい。
支配から解放されたんだ。
そう思った。
ところが――。
一人の警官が僕たちを見た。
正確には、僕たちの手にある3D銃を見た。
表情が変わった。
「なんだ、それは?」
警官が僕のところへ歩いてきた。
僕の3D銃を取り上げる。
「おもちゃみたいだな」
まじまじと眺めている。
他の警官や自衛官も、次々と身体を起こした。
体格のいい自衛官が、ろう者の一人の胸倉を掴んだ。
「お前たち、何をしている!」
ろう者は何を言われたのか分からない。
必死に手話で訴えた。
当然、自衛官には通じない。
「何か言え!」
だから言ってるって。
次の瞬間、別のメンバーが地面に押さえつけられた。
警官たちが動き始める。
本来の訓練を受けた人間たちだ。
感染していた時より、むしろ動きが速い。
僕も腕を掴まれた。
抵抗したが、あっという間に地面へ倒された。
頬がアスファルトに押しつけられる。
隣では平石も押さえ込まれていた。
何なんだよ。
支配が解けたんじゃなかったのか。
船橋が駆けてきた。
「待ってください!」
警官たちの間に割って入る。
「私たちは敵ではありません!」
手話でも伝えようとしている。
「あなたたちは、ついさっきまでエイリアンに操られていたんです。この人たちは、それを止めようとしていただけなんです!」
警官は聞こうとしなかった。
若い警官が船橋の腕を振り払う。
「下がれ!」
「少しくらい聞く耳を持てよ!」
船橋も声を荒らげた。
「自分が今まで何をやっていたか、思い出せ!」
その間にも、レジスタンスのメンバーたちは次々と拘束されていく。
何なんだ。
こいつら。
術が解けても同じことをやるのか。
いや。
そうじゃないのかもしれない。
身体は戻った。
意識も戻った。
でも、自分たちが何者だったのかという感覚だけが、まだ戻っていない。
警官は警官。
自衛官は自衛官。
目の前には武器を持った集団。
だから、とりあえず制圧する。
それしか分からないのだ。
船橋が若い警官に体当たりした。
警官が転倒する。
「真実を知るんだ!」
船橋が叫んだ。
「このまま同じことを繰り返すつもりか!」
その時だった。
警官たちの動きが止まった。
誰かが歩いてくる。
僕は路面に押さえつけられたまま、顔を上げた。
河口凛々子だった。
あの人――。
来やがった。
置き去りにしたのに。
凛々子は一人の警官の前で立ち止まった。
警官も凛々子を見た。
二人とも動かなかった。
やがて警官が立ち上がった。
呆然と凛々子を見つめている。
凛々子は一歩近づいた。
そして――。
いきなり平手打ちした。
警官の顔が横を向いた。
誰も動かなかった。
凛々子は、ゆっくり手を動かした。
〈私のこと、覚えてる?〉
警官は凛々子を見つめた。
返事をしない。
凛々子はもう一度手話した。
〈分かる?〉
男はしばらくして、ゆっくり頷いた。
凛々子の表情がわずかに緩んだ。
〈私は誰?〉
男の唇が動いた。
「……凛々子」
凛々子は頷いた。
手話と口話を同時に使い始めた。
「そう。凛々子。あなたの妻よ」
男の顔が歪んだ。
「あなたは半年前、仕事に出たまま帰ってこなくなったの。ずっと捜してた」
凛々子は男から目を逸らさなかった。
「あなたは悪い夢を見ていたのよ。ずっと誰かに利用されていた」
男の唇が震え始めた。
「この人たちは敵じゃない。あなたたちを元に戻そうとして戦っていたの」
凛々子は一度息を吸った。
そして、手を動かした。
〈タキオを覚えてる?〉
男の目から涙がこぼれた。
〈あなたの息子よ〉
男が顔を覆った。
〈ずっと待ってる〉
膝が折れた。
男はその場に座り込み、声を上げて泣き始めた。
周囲の警官や自衛官たちにも変化が起きた。
誰かが拘束していたろう者から手を離す。
別の男が頭を抱える。
「俺たちは……」
自衛官の一人が嗚咽した。
「何をしてたんだ……」
彼の下に押さえ込まれていたろう者が、ゆっくり身体を起こした。
何と声を掛ければいいのか分からない。
そもそも言葉は通じない。
だから、その男の背中をただ撫でた。
それで十分だった。
ようやく――。
人間が戻ってきた。
船橋が大きく息を吐いた。
僕も地面から身体を起こした。
平石も隣で座り込んでいる。
僕は凛々子を見た。
彼女はこちらを見ると、少しだけ笑った。
どうやって来たんだ。
後で聞いたところでは、置き去りにされたあと、自分のSUVまで戻り、僕たちを追ってきたらしい。
屋根付き球場へ向かうという話を聞いていたのだから、場所は分かっていた。
あの人を置いていこうなんて、最初から無理だったのかもしれない。
凛々子は夫の肩に手を置いた。
「もう帰りましょう」
それから周囲の警官や自衛官たちを見渡した。
「あなたたちも、帰れる人は家へ帰って。家族が待っているわ」
誰もすぐには動かなかった。
だが、一人が歩き始めた。
それに続いて、また一人。
制服姿の人々が、ゆっくりと球場から離れていく。
僕と平石は、その姿を眺めていた。
戦いは終わったのだろうか。
まだ何か、やり残しているような気もする。
でも、もう足が動かない。
身体中が痛い。
振り返ると、装甲バスの前で船橋が手招きしていた。
ろうの仲間たちもいる。
僕は平石を見た。
平石も僕を見る。
二人して、力なく笑った。
そして僕たちは寄り添うように、バスへ戻っていった。
つづく
