21
陽の光が大黒屋の庭に差し込み、静けさと冷たい空気が漂う中で、大黒屋の一行は、緊張感をもって朝を迎えた。
庭に息を切らせながら誰かが飛び込んできた。
狩野飛雄だった。
彼の表情には、疲労感と焦りが垣間見えた。
〈みんな! 大変だ!〉と飛雄は、息を整えながら手話で伝えた。
その言葉に、座敷に集まっていた難聴メンバーたちは一斉に彼を見つめた。
〈どこ行ってたんだ、飛雄?〉と横井岳人が尋ねた。
飛雄は深呼吸し、落ち着いた様子で続けた。
〈静香さんが変な格好をした大男に暗示をかけられて、神社から連れ去られていくのを見たんだ。後を追ったんだけど…〉
飛雄の言葉に、一同は驚きの声を上げた。
〈どこへ連れて行かれたんだ?〉と岳人が飛雄に問い詰める。
〈弓削神社の奥にある大きなお屋敷さ〉と飛雄は答えた。
大和が大黒屋に手話通訳した。「弓削神社の奥のお屋敷って言ってますけど」
大黒屋が思わず声を漏らした。「合志十右衛門殿のお屋敷じゃ」
大黒屋の目が険しくなった。
〈一晩中、そこにいたのか?〉と岳人が訊ねた。
〈いや、真っ暗で道が分かんなくなって、夜明けまで境内で寝てた〉と飛雄は答えた。
〈無謀だな!お前〉と佐々剛介が腹立たしく手を動かした。
松井大和も眉をひそめ、「飛雄、お前一人で動いちゃいかんよ。俺ら、仲間だろ」
狩野陽向も加わった。〈そうだよ。心配したんだぞ〉
飛雄は頭を下げ、〈ごめんよ。ただ、皆に知らせてる暇なくて、見失いそうだったんだ…〉
しかし、松井大和が厳しい眼差しで飛雄を見つめた。
〈飛雄、お前の悪いクセだよ。スタンドプレーが多いんだよ。ここは以前の世界とは違うんだ。侍が真剣を所持してるんだからな。気持ちはわかるけど、難聴者として無茶なことは決してするな〉
飛雄は顔を上げ、悔しそうに言った。
〈悪かったけど、スタンドプレーは言い過ぎだ〉
大黒屋が静かに口を開いた。
「まぁまぁ、内輪もめはさておいて、お話を伺いましょうか」
大黒屋の言葉に、メンバーたちは頷いた。
「さて」と松井大和が言った。
「飛雄、お前の追跡で得た情報を聞かせてくれ」
〈ちぇっ、結局聞くのかよ。でもあまり収穫は無かったんだ〉と飛雄の表情はさえなかった。
〈静香さんは何か催眠術を掛けられたみたいだった。変な格好の大男と侍たちに連れられて屋敷に入っていったんだ。庭に周ってみると、男たちが座敷で話し込んでいるのが見えたけど、そこには静香さんの姿は無かった。たぶん奥の部屋じゃないかな〉
それから沈黙が続いた。大和の通訳を聞いていた大黒屋が業を煮やして訊ねた。
「…で?」
飛雄は困ったような顔になり、頭を掻いた。
〈それから、庭の木の陰で様子を伺っていたんだけど、早々と障子を閉められちゃって、中の様子が分からなかったんだ。座敷に近付こうとしたら、木切れを踏んづけちゃって、すぐに逃げ出した〉
大黒屋が訊ねた。
「あのう、この方に訊いてくださらんかな?『変な格好の大男』と申すのは、ひょっとして南蛮人のことかのう?」
大和の手話通訳を見て、飛雄が答えた。
〈教科書とかで見たキリシタンの格好だった〉
大黒屋は合点した様子で、深く頷いた。
「人さらいに遭ったのか。道理で帰って来ぬと…」
大黒屋は呟いた。
〈リーダー、飛雄に案内させて、静香さんを助け出そう〉
佐々剛介が言った。
「いや、武蔵さんに知らせることが先決だ。大黒屋さん、武蔵さんは稽古からお戻りですか?」と松井大和が尋ねた。
「いえ、おらぬようです」と大黒屋が答えた。
その時、門戸を荒々しく叩く音が響いた。
大黒屋が様子を見に行くと、庭に五人の人間がなだれ込んでくる。
真丸を始め、大久保道場の面々がいた。大久保史恵もそこにいた。
「皆様、聞いてくだされ…」と大久保真丸がたどたどしく言った。
「これが、先ほど落ちておりました」
大久保史恵が差し出したものを見て、大黒屋は驚いた。
「何と!?」
メンバーが紙片を覗き込んだ。
「静香を人質に取ったと書いてあります」
大黒屋が説明した。
「『辰の刻、白川、赤岩ん淵へ参れ』と…」
大黒屋が文字を指でなぞりながら読み上げた。
「また葛西道場の仕業か!」
門弟の一人が叫んだ。
「今日こそ許さぬ!行くぞ!」
大久保真丸が門弟たちを鼓舞した。
「待ってください」
松井大和が制止した。
「待てだと!? この期に及んで、ぐずぐずしておれぬぞ!」と真丸が反論した。
「これは葛西道場の仕組んだ罠です…赤岩ん淵には、葛西源生ら門弟共が待ち伏せているに違いありません」と大和が説明した。
「だからこそ、我々も赤岩ん淵へ駆けつけ、武蔵さんと共に…」
真丸が声を荒げた。
「葛西道場の連中、斬り伏せてくれよう!」
門弟の一人が叫んだ。
大和が真丸たちを押し留めて、冷静に言い聞かせた。
「細川五十四万石の剣術指南役、大久保藤淳先生の門弟らが徒党を組み、決闘を行ったとなれば、御公儀にどう申し開きするのですか。大久保先生は言うまでもなく、御主君・細川忠利様にまで影響が及ぶこと必定です。それゆえ、武蔵さんは病の身でありながら、一人で赤岩ん淵に向かわれたのでしょう」
「病の身!?」と真丸が驚いた。
「真丸さん、恐らく武蔵さんは、病身にもかかわらず、あなたを道場の師範代として恥じぬ腕前に育て上げようと、厳しい稽古をつけておられたのです」と大和が続けた。
「大和さん…」
真丸が絶句した。
「本当でございますか…?」と史恵が尋ねた。
「ふらつきや目眩など、武蔵さんの所作に思い当たることがお有りでしょう?」
史恵は沈黙し、ゆっくりと頷いた。
「武蔵さんが憎しみやいじめであなたを鍛えていたのではないことだけは、理解して差し上げてください」
「そうとは知らずに、私はとんでもない思い違いを…」
史恵は言葉を詰まらせた。
「武蔵さんの気持ちを少しでも汲み取れるなら、ここは一つ、武蔵さんが動きやすいようにして差し上げるべきでしょう」
大和が一同に提案した。
「しかし、武蔵さんがそのような不自由な身体で葛西一派と…」と真丸が言い淀んだ。「無茶だ」
「私の仲間も加勢します」
大和が力強く言った。
〈リーダー!〉
飛雄が大和を手招きした。
〈赤岩ん淵に行くのかい?〉
〈ああ、剛介、岳人も来てくれるか?〉
大和は手話で呼びかけた。
〈いくよ!〉
佐々剛介と横井岳人は頷いた。
「私も参る。皆は残れ!」
真丸が声を荒げた。
「真丸、俺も行く!」
門弟の一人が言った。
「真丸、私も行きます!」
史恵も決意を示した。
「どなたか、赤岩ん淵へ案内してください。もう時間はありません」
大和が言った。
一行は急いで準備を整え、赤岩ん淵へ向かうことにした。
道中、真丸は先頭に立ち、皆を導いた。彼の表情には闘志がみなぎっていた。
つづく
