12
チェインバーグ市立病院は、ケンジの想像よりもずっとこじんまりとしていた。
敷地内には小高い丘が点在し、豊かな緑に覆われている。
白く輝く建物は新築のように見えたが、玄関に近づくと、何度も塗り直された痕跡が見て取れた。
壁に張りついているひび割れの補修跡が、その歴史を物語っていた。
「どなたをお探しですって?」
ケンジは病院の受付にいた。ひどく生真面目な受付係が対応していた。
「ウインドベル自然科学研究所長って誰なんです?」
メタルフレームの丸眼鏡。光沢のないボブカット。堅く閉じた口元。相手を射すくめる眼差し。
これはロボットか何かを導入したほうが、来院者も助かるのではなかろうか。
ケンジは愛想笑いしつつ言った。
「失礼しました。フレデリック・オットーという人なのですが」
ケンジは相手の目を見て、冗談の通じない人種だと、直感した。
こういう女性を茶化すと、ろくなことにならない。
何か変なことを言ったら、すぐに警察を呼ぶタイプ。
彼女は手元のタブレットを指でなぞって顔を上げた。
「その方でしたら、二階の五号室にいらっしゃいますわ。あなたも警察の方ですか」
ケンジは否定した。
「先ほど、警察の方がお見えになったんですのよ。確かお名前は、リプレー…」
「リプリー警部補ですか」
「ええ、そうです。そんな風に書いてありました」
あの男は、人にものを言うたびに、いちいち警察手帳を出して見せるのか、ケンジは苦笑した。
「その『警察の方』は、まだいらっしゃるでしょうか」
「さあ、分かりませんわ。いったい、何がありましたの」
「僕もよくわからないんです。急に呼び出されただけで」
電話が鳴り、受付の女性が応対する間に、ケンジはその場を離れ、オットーの病室へと向かった。
二階の廊下は、北側にあるせいかとても寒かった。
病室のドアを開けると、まず目に入ったのはグリーン生地のパーティションだった。
その奥に大男の影がある。リプリーだ。
「来たのか。所長はいないぞ」
振り向きざまに、彼は言った。
ケンジは何と返答していいかわからなかった。
リプリーはあまり似合わないジーンズを履いていた。
ジュードーで鍛えた体躯が、まるで砲台か何かのように見えた。
「今、リハビリに行っているんだ。俺の話が終わらないうちに、看護婦が連れて行きやがった。まったく気が利かん女どもだ」
いや、逆に気が利くから、オットーを病室から連れ出したのかもしれない。
「どんな具合なんです?」
「ジンタイを痛めてるそうだ」
「足をケガしているんですね」
「そうだとも、言い方がおかしかったか」
「いえ。どういった事情で、ケガをしたんですかね」
「何かに襲われたらしい」
「…」
どういう言語感覚をしているんだ、この男は…。
ケンジは泣きたくなった。
「変な奴だな。そんな風に沈黙するのが、お前の癖なのかい」
「別に癖なんかじゃありません」
「そういう悪い習慣は直したほうがいい」
「事情が飲み込めないからですよ。なぜ所長が襲われなければならないんですか?そして誰に襲われたんですか?」
リプリーはベッドの横にある丸椅子に腰掛けた。
「それが分からないんだ」
「何かで殴られたんですか」
「いや、ケガは自分で転んだ時のものらしい」
全然、分からない。
ケンジは肩を落として、ため息をついた。
オットーといい、リプリーといい、二人ともいったい何をやっとるんだ。
ケンジはオットー所長のベッドに、ショルダーバッグを放った。
研究所から所長の着替えを持ってきたのだ。
下着はコンビニで買った。
パンツはLサイズでは大き過ぎるかもしれないが、ないよりマシだ。
ケンジは廊下を通りかかった看護婦を呼び止めて、リハビリ室の場所を訊いた。
リハビリ室は別の棟にあるそうだ。
リプリーはタバコを取り出し、病棟の中の喫煙室で長いことタバコを吸っていた。
一本目を吸い終え、二本目を吸い終わると、ようやく喫煙室から出てきた。
タバコを吸うとリラックス出来るらしい。
あんなに人に気を使わない男が、なんでリラックスする必要があるのだろう。
廊下のベンチでリプリーを待ちながら、ケンジはそんなことを考えた。
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