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フリースペースに戻ると、先ほどの騒ぎが嘘のように和やかな雰囲気が広がっていた。

女子たちは皆、にこやかに寛ぎながら、手話で世間話をしていた。

ドローンが至近距離で飛んできた理由なんて、彼女たちにとってはどうでもいいことらしい。

デカい虫が飛んできた程度にしか感じなかったのだろう。

僕は平石と一緒に話の輪の中に入っていった。

〈最近、ご近所のおばさんから変な話を聞いたの。『失踪』っていうのかしら、ご主人が仕事に出かけたまま帰ってこないって、捜索依頼を出す家が増えているらしいの〉

ん、何だって?僕はすぐ近くにいた女子の手の動きを食い入るように見ていた。

平石も話の輪に加わっているが、そちらの話題は仕事のことばかりだ。

何号室のお爺さんが転んだとか、あれはわざとだったんじゃないかとか、お婆さんの入れ歯が無くなって誰が始末書を書くか揉めているとか、そんなことだ。

僕はそんな話より「失踪」のことが知りたかった。

隣の女の子に訊ねた。

〈その『失踪』の話だけど、最近のことなの?〉

女の子は目を丸くして頷いた。

〈そう、一か月前からって言ってたわ〉

〈それって、事件…なのかな?〉

〈当然、事件でしょ。同じ区から行方不明者が三人も出てるんだし〉

〈三人か。そりゃあ初耳だ〉

別の女の子が会話に割って入ってきた。

〈でも、不思議なのは全員が働き盛りの男性だってことよ。年齢も30代から40代で、共通点が多いの〉

〈どんな共通点?〉僕は身を乗り出した。

〈みんな朝いつも通りに家を出て、それっきり。会社にも着いてないし、途中で事故に遭った形跡もない。まるで途中で蒸発したみたい〉

〈テレビが時々変になるじゃない?〉最初の女の子はアイドラゴンを指さしながら言った。

〈あの放送を信用していいのかどうかわからないけど、今は福岡のあちこちで似たようなことが起きてるらしいの〉

〈神隠しが頻繁に起こってるってことかい?〉


〈そう言ってたわ〉

〈アイドラゴンがかい?それとも近所のおばさんがかい?〉

〈どっちも言ってたわよ〉

平石がこちらの会話を聞きつけて顔を向けた。

〈失踪の話してるのか?うちの施設の利用者の家族からも似たような相談を受けたことがあるよ〉

〈え、本当に?〉

〈ああ。息子さんが出勤途中に行方不明になったって。警察に届けを出したけど、有力な手がかりは何もないらしい〉

僕は背筋に寒いものを感じた。さっきのドローンのことといい、なにか不穏な空気が街全体を覆っているような気がしてきた。

〈みんな、普段と変わらない様子で家を出たの?〉

〈そうよ。奥さんたちの話だと、いつもと同じように『行ってきます』って言って出かけたって。お弁当も持参してたし、帰宅予定時刻も伝えてあったのに〉

〈携帯電話は?〉

〈もちろん調べたけど、最後の位置情報が駅の近くで途切れてるの。それ以降は圏外になったまま〉

女の子たちの手話が次第に早くなっていく。みんな、この話題に不安を感じているようだった。

〈警察は何て言ってるの?〉

〈大人の男性の失踪は事件性が低いって判断されがちなのよ。でも、これだけ続くと流石に調査を始めるんじゃないかしら〉

平石が深刻な表情で手話を続けた。

〈実は、うちの上司から聞いた話なんだが、他の区でも同じような報告が上がってるらしい。市全体でかなりの数になってるかもしれない〉

〈それって…〉

〈組織的な犯罪の可能性もある〉

フリースペースに重い沈黙が流れた。アイドラゴンの画面では相変わらず意味不明なノイズが走っているが、その向こうにある現実の方が遥かに不気味だった。

僕は窓の外を見た。夕暮れ時の街並みがいつもと変わらず穏やかに見えるが、その平和な日常の裏で何かが蠢いているような気がしてならなかった。



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