どこをどう歩いたのか定かではない。
その朝、僕は街外れにある歩行者用トンネルの中で目を覚ました。
身体が鉛のように重い。
手足も冷え切っていた。
外が白み始めると、僕はトンネルを出た。
行き先は決めていた。
平石のところだ。
スマートフォンの位置情報で、おおよその居場所は分かっている。昨夜メッセージも送っておいたが、まだ返事はなかった。
早朝だからか、大通りにもパトカーの姿は少ない。
思ったより簡単に、平石が滞在している家を見つけた。
住宅街にある、ごく普通の戸建てだった。
ここまで来て、僕は足を止めた。
家まで押しかけるのはマズい。
たぶん、あの女性の実家なのだろう。
僕は今、警察から追われている。
そんな男が玄関に現れれば、迷惑どころの話ではない。
少し離れたところに小さなグラウンドがあった。
地域住民向けの施設らしい。
幸い、誰もいない。
僕はそこまで移動し、平石にメッセージを送った。
すぐに既読がついた。
しばらく待っていると、グレーのスウェット姿の平石が現れた。
僕は軽く手を上げた。
まず水飲み場へ向かい、蛇口から水を飲む。
顔を上げる。
平石の様子がおかしい。
〈どうした。迷惑だったか?〉
平石は辺りを見回した。
誰もいないことを確認すると、険しい顔で手を動かした。
〈君は今、隠れてなきゃマズいんだぞ〉
まあ、そう言うだろうと思っていた。
〈その理由を教えてくれ〉
僕は続けた。
〈とにかく大変だったんだ〉
平石が一歩近づいてきた。
〈俺は君に関われない〉
〈どういう意味だよ〉
〈警官や自衛官を何人も殺したんだろ?〉
やっぱり。
報道されているのだ。
〈聞けよ。あいつらは狂ってる〉
平石は目を逸らした。
〈お前、本当に頭がおかしくなったんじゃないか〉
〈違う。これを見てくれ〉
僕はリュックに手を伸ばした。
青と白の銃を見せようとしたのだ。
平石はすぐに手を突き出した。
〈もう帰ってくれ〉
〈平石――〉
〈彼女も家族も、このことは知ってる。頼むから関わらないでくれ〉
言葉に詰まった。
平石の表情も苦しそうだった。
〈自首した方がいい〉
それだけ言うと、彼は背を向けた。
僕は追えなかった。
グラウンドを出て、街へ戻った。
通りにある大型ディスプレイでニュースが流れていた。
画面に、自分の顔が映った。
警官と自衛官を銃撃した容疑者。
そんな内容らしい。
僕は俯き、急いで通り過ぎた。
リュックからマスクを取り出して顔を隠す。
これじゃ平石が怯えるのも無理はない。
歩きながら、ふと青と白の銃のことを考えた。
そうだ。
まだ四丁残っている。
第16話で公民館から一箱持ち出し、介護施設に置いてきたはずだ。
今の僕には、あの銃が必要だった。
施設へ戻ることにした。
公民館の方も念のため調べたが、段ボール箱はどこにもない。
そこで思い出した。
そうだった。
残っていた一箱は、僕が全部持ち出したんだ。
自分でやったことなのに忘れていた。
僕はこっそり公民館を出て、介護施設へ向かった。
施設は静まり返っていた。
駐車場には、昨日来ていた救急車もない。
職員の車が二台だけ残されている。
中にいた人たちのものだろう。
玄関の自動ドアが開いた。
土足のままホールに入る。
廊下へ続くドアを少しだけ開けた。
床に人の手が見えた。
僕はすぐに閉じた。
見たくなかった。
青と白の銃が入った箱は、アイドラゴンの裏に残っていた。
開ける。
四丁。
全部ある。
それだけで妙に安心した。
どういう仕組みなのかは、いまだに分からない。
実弾が飛び出している感じはない。
硝煙も出ない。
それなのに人間を倒し、ドローンまで撃ち落とす。
僕は箱を抱え、施設を出た。
歩きながら一丁取り出し、しげしげと眺める。
本当に、何なんだこれは。
顔を上げた。
路地の先に男が立っていた。
腕を組み、こちらを見ている。
逆光で顔が分からない。
男が手を動かした。
〈これからどこへ行くんだ?〉
平石だった。
彼は一枚のカードを路上へ投げた。
プリペイドカードだった。
〈これで熊本へ帰れ。JRで使える〉
僕は拾い上げた。
平石は苦い顔をしている。
泣きそうにも見えた。
やっぱり、こいつは友達なんだ。
平石が背を向ける。
〈待て〉
僕は肩を掴んだ。
平石が振り返り、激しい手話を浴びせてくる。
〈阿蘇で気の済むまで隠れてろ。それから落ち着いたら自首しろ〉
僕はその手話を遮った。
青と白の銃を差し出す。
〈これを見てくれ〉
〈何だよ、それ〉
〈とにかく持ってみろ〉
〈いらん〉
〈聞いて驚くなよ。こいつは――〉
その瞬間だった。
平石の右拳が飛んできた。
頬にまともに入った。
僕はよろめいた。
鼻の辺りを拭うと、手に血が付いた。
〈殴ることないだろ〉
平石は怒りを露わにした。
〈警官を殺したんだろ。それも嘘か?〉
頭にきた。
僕の拳が平石の顎に入った。
平石が壁際までよろめく。
一瞬、二人とも止まった。
平石が構えた。
僕も構えた。
何でこうなる。
〈襲ってきたのは向こうだ。警官も自衛官も、一般の人を殺してる。俺だって何度も殺されかけた〉
平石が軽くステップを踏む。
〈今のお前の話を、どうやって信じろっていうんだ〉
〈だったら信じさせてやる〉
僕は段ボール箱を路肩へ置いた。
〈何で殴り合いになるんだよ〉
〈お前が先に殴ったんだろ〉
〈そうだったな〉
平石のジャブが飛んできた。
僕はかわし損ねた。
さらに腹に一発。
顔にもう一発。
僕は派手に尻もちをついた。
起き上がる。
今度はこちらから殴った。
平石も殴り返す。
そこから先は、もう滅茶苦茶だった。
パンチ。
蹴り。
タックル。
ヘッドロック。
どちらも引かない。
僕が倒れれば平石が待つ。
平石が倒れれば僕が待つ。
そして立ち上がったら、また殴る。
途中で平石が僕の髪を掴んだ。
僕は腹にしがみつき、そのまま二人で道路に転がった。
何をやっているんだ。
さっぱり分からない。
それでも止まらなかった。
気がつくと、僕は路上に落ちていたモップの柄まで握っていた。
平石が目を見開く。
〈それは卑怯だろ!〉
〈うるさい!〉
棒を振り回す。
平石は逃げながら、道端にあったビールの立て看板を拾った。
盾にする。
僕が棒を振り下ろす。
平石が看板で受ける。
その拍子に看板が駐車中の車へ当たった。
リアガラスに大きなひびが入った。
二人とも止まった。
〈……やっちまった〉
僕はモップの柄を捨てた。
平石も看板を置いた。
〈素手でやろう〉
平石が僕を見る。
僕も平石を見る。
二人とも吹き出した。
何のためにこんなことをやってるんだ。
笑いが止まる。
そしてまた構えた。
まだやるのか。
結局、また始まった。
もうまともなパンチなんて打てない。
お互いふらふらだった。
平石が僕の足を踏んだ。
僕が飛び跳ねる。
その隙に身体を持ち上げられ、路上へ叩きつけられた。
僕は大の字になった。
もう無理。
完全に電池切れだ。
平石も息を切らしていた。
彼は路肩に転がっていた青と白の銃を拾い、僕の胸に置いた。
〈一人で遊んでろ〉
そのまま立ち去ろうとする。
僕は空を仰いだ。
視界の端に、大通りが見えた。
何台ものパトカーと装甲車が、ゆっくりと通っている。
迷彩服の男たちも歩いていた。
まただ。
僕は身体を起こした。
路上では、一人の老婆が倒れていた。
その側に二人の自衛官がいる。
一人が老婆へ銃を向けていた。
老婆が大きく口を開けている。
叫んでいる。
まずい。
声に反応しているんだ。
僕は立ち上がった。
平石の肩を掴む。
〈見ろ〉
彼の身体を大通りへ向けた。
〈あれを見ろよ〉
老婆が逃げようともがいている。
自衛官の一人が、その頭へ銃を向けていた。
平石の表情が変わった。
僕は青と白の銃を拾った。
「おい! こっちだ!」
大声を出す。
自衛官たちが一斉にこちらを向いた。
平石が驚いて僕を見る。
僕は手話した。
〈声に反応するんだ〉
迷彩服の男がこちらへ走ってくる。
僕は銃を構え、トリガーを引いた。
青白い光。
男は膝から崩れ落ちた。
平石の目が見開かれた。
もう一人がこちらへ向かってくる。
僕は銃を平石に押しつけた。
〈今度は君がやれ〉
〈俺が?〉
〈早く!〉
平石はへっぴり腰で銃を構えた。
トリガーを探す。
男はもうすぐそこだ。
〈引け!〉
平石がトリガーを引いた。
銃が白く光る。
突進してきた男が前のめりに倒れた。
平石はその場に固まっていた。
恐る恐る倒れた男へ近づこうとする。
僕は腕を掴んだ。
〈近づくな〉
〈死んだのか?〉
〈分からない。一度倒れても、また起き上がる奴がいる〉
平石が青ざめた。
〈こいつら、何なんだ?〉
僕は口を動かした。
「ゾンビ」
平石が指文字で確かめる。
〈ぞ・ん・び?〉
〈まあ、好きに呼べばいい〉
その時、空に黒い影が見えた。
ドローンだ。
また監視している。
僕は平石から銃を受け取り、空へ向けた。
トリガーを引く。
ドローンが傾き、ビルの壁へ激突した。
そのまま回転しながら路上へ落ちていく。
老婆はもういなかった。
逃げられたらしい。
僕は平石を見る。
さっきまでの怒りは、完全に消えていた。
〈ご覧の通りだ〉
僕は肩で息をしながら手を動かした。
〈ひどい状況なんだよ。まったく〉
つづく
