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葛西道場の広い稽古場には、厳かな雰囲気が漂っていた。
武道の心が息づく空間で、気合いの声が響き渡る。
若い剣士たちが息を切らしながら激しく打ち合い、その姿に五人の少年たちは圧倒された。
「リーダー…」と、横井岳人が松井大和に声をかけた。
大和の目は、道場内の緊張感に引き込まれていた。
気合いの声がまた一段と大きくなる。
道場内には「鳳凰流葛西源生道場」という大きな横書きの看板が威厳を放っていた。
「何だか、これは立派な道場だな…」と、松井大和が感心しながら呟いた。
五人の視線は道場の剣士たちの激しい稽古に釘付けになっていた。
〈昔、立田山の近くで、細川家の剣術指南役だった道場があったって聞いたことがあるけど、これのことかな?〉
佐々剛介が手話で言った。
五人の表情には興味と驚きが入り交じっていた。
〈剛介…それじゃやっぱり、この時代は〉と、狩野陽向が手話で興奮気味に訊ねた。
陽向の目もまた、道場内の熱気に圧倒されている。
「陽向は童心か?のん気なやつだな…」
松井大和がウンザリとして言った。
狩野陽向は何でも素直に喜ぶ。きっとディズニーランドに来たみたいな気分なんだろうな。他の四人は無邪気な陽向がうらやましく思えた。
道場内では、剣士の中でも一際目立っていた合志仙蔵が、皆に発破をかけていた。
「タァー!」
力強い掛け声が、道場の空気を支配していた。
仙蔵と対戦していた藤崎閃電が苦しげな声で、「これは敵わん! もう降参だ!」と叫んだ。
少しわざとらしい感じがした。
「腕を上げましたな、仙蔵様! さすが合志家の家督を継ぐお方でございます。」
奥にいた道場主の葛西源生が賞賛の言葉を投げかけた。
彼の言葉には、称賛と尊敬が込められていた。
「うん。我ながら驚くほど成長を感じ、自信がみなぎってきた感じだ。ハッハッハッハッ…」
合志仙蔵は自信に満ちた笑い声を上げた。その姿には、たくましさと自惚れが感じられた。
〈何だぁ、あれは…〉
佐々剛介が舌打ちしつつ、道場の様子を見つめる横で、横井岳人が手話で〈ミエミエのお世辞を言っちゃって〉と囁いた。
メンバーの顔には、冷ややかな軽蔑が浮かんでいた。
〈ヘヘヘ…あの一番偉そうなのが、一番ヘボなのにさ〉
狩野陽向が口元に笑みを浮かべながら手話でおどけた。
その手話に、一同は一瞬笑いを漏らした。
その時、ガタンという扉を開く音がした。
一同の背後に誰かが立っていた。
ウワサの的である、一番偉そうなお方だった。
「おい!おぬしら。他人の稽古を見て笑うからには、それ相応のウデがあるんだろうな。中に入って我と対峙いたせ!」
合志仙蔵が憎しげな表情で言った。
「熊本藩・細川家五十四万石の剣術指南役、葛西源生道場に喧嘩を売るとは、無礼な輩じゃ」
その声には、敵意と侮蔑が込められていた。
「いえ、いえ、僕たちはただのサークルなんで。道場の許可なく無断で試合などしちゃいかんので…」
松井大和がしどろもどろに断ろうとしたが、合志仙蔵は容赦しなかった。
すこぶるプライドが高いのだろう。
「グズグズするな。来い!」
仙蔵が命じると、道場内の門弟たちも一斉に声を揃えた。「さっさと来い!」
〈ちょっとリーダー…〉
狩野陽向が心配そうに大和に言った。陽向の目には、少し怯えが見えた。
〈陽向。心配はいらんよ〉
猿渡飛雄が手話で静かに言った。
手の動きに、冷静さと自信が感じられた。
〈面白い試合が始まるぞ〉
佐々剛介が興奮気味に手話で言った。剛介の目には好奇心が浮かんでいた。
剛介はあくまでも好戦的だ。
〈剛介さん…そりゃあ、あんたはいいんだろうけど〉と、狩野陽向が若干不安げに言った。
「誰からでもかまわん!かかって来い!」
合志仙蔵が挑発的な声を挙げた。
「僕たちには竹刀がないし、またの機会に…」
松井大和が再度断ろうとしたが、合志仙蔵は頑なに譲らなかった。
「ならぬ! 竹刀ならいくらでもあるぞ。どれでも取れ。かかって来い!」
仙蔵はさらに声を上げた。
〈俺がいくよ〉
佐々剛介がすくっと立ち上がり、戦う意思を見せた。
「いや、岳人、お前が行け。稽古をつけてもらうだけでいいんだからな」
松井大和が岳人に指示した。大和の目には、少しのためらいとともに、岳人への信頼が込められていた。
「えっ、僕が」
横井岳人は驚いて大和を見た。その顔には少しの不安が見えた。
〈リーダー。岳人より、俺の方が…〉と、佐々剛介が手話で制して、再び前に出ようとした。
〈お前のほうが強いんだろ。知ってるよ〉と、松井大和が答えた。
〈ここは負けるが勝ちの場面なんだよ。絶対、勝っちゃダメだ。岳人は喋れるから、命乞いが可能だし〉
〈だったらリーダーがやればイイじゃん〉と、佐々剛介が訴えた。
「俺も強い。負けるのは嫌だ」
松井大和は言った。
合志仙蔵と横井岳人は竹刀を持ち、道場の板の間で互いに向かい合った。
「まだシロウトですので、どうかご配慮を」と、横井岳人が震える声で願い出た。
「配慮だと。笑わせるな! その性根を叩き直してやる。覚悟せい!」
合志仙蔵は気色ばんで怒鳴った。
「始め!」
藤崎閃電が合図を出すと、試合が開始された。
「ヤー!」
横井岳人は声を上げながら立ち向かったが、合志仙蔵の圧倒的な気合いに押された。もっともハナから本気で対抗する気はなかった。
元々岳人は、それほど強い剣士ではない。
合志仙蔵の力強い打撃に次第に押されていった。
どちらかというと、岳人は足さばきで逃げるのが得意だった。
リズミカルに前後にステップを踏みながら、攻撃をかわし、敵を翻弄する横井岳の姿は、まるで舞踊を見ているようだった。
「参りました!」
横井岳人は頃合いを見て、降参を宣言した。「僕では全然歯が立たない」
対する合志仙蔵は、肩で息を切らし、額の大粒の汗を袖で拭っている。
「ううむ、こしゃくな。逃げてばかりおって…」
仙蔵は悔しまぎれに舌打ちした。
松井大和が労りの言葉をかけた。
「岳人。稽古になったな」
「はい!」と、岳人は若干演技がかった尊敬の眼差しで頷いた。
〈プププッ。岳人はフットワークが良いからな〉
猿渡飛雄が笑いを堪えながら手話で言った。
「ハァ、ハァ。逃げてばかりじゃ勝負にならんじゃろ。次は誰じゃ?」
合志仙蔵が息を切らしながら次の対戦者を募った。
「いえ、もう結構です。ありがとうございました!」
一同は礼をして道場を後にしようとした。
振り返ると、合志仙蔵が仁王立ちで立っていた。
叩きのめすつもりだったのだろう。
仙蔵は悔しさを隠しきれず、皮肉めいた口調で言った。
「さっきから見ておると、おぬしら『つ◯ぼ』なんじゃろ?」
「何だと?」
松井大和は足を止めて訊き返した。
「なぜなれば、手で物を言うとるではないか。マゲも結うておらぬし、逃げてばかりじゃ」
佐々剛介が、大和の表情が変わったことを察して、大和に詰め寄った。
〈あいつ、何て言ってるんだ?〉
大和は、気の荒い剛介にニッコリ笑い〈何でもない〉と首を振り〈もう行こう〉と一同を促した。
「おう、臆病風を吹かせて、もう帰るのか。ハッハッハッ」
「おぬしらは、穢多非人(えたひにん)と蚤取りでもやっておれ」
合志仙蔵の罵り声に呼応するように、道場の若い剣士たちの哄笑が響き渡った。
つづく
