3 偽装パンダとバイト代

ウインドベル駅を中心とした賑やかな市街地から二十キロも離れた、人目につかない裏町の一角。そこには、時代を感じさせる古びた看板がかかる自然科学研究所がひっそりと佇んでいた。

広々とした芝生の庭を囲む木造二階建ての建物は、まるで昔話から抜け出してきたかのようだった。

晴れ渡る秋の午後、街路樹が色づき始める中を、一台のワゴン車がゆっくりと研究所の駐車場へと進入していった。



同じ頃、研究所の中では、二人の男が向かい合ってデスクに座り、緊張感漂う空気の中で会話を交わしていた。

「コーヒーはまだかね?」と、しわがれた声で所長が尋ねた。

「今、淹れています。そこにコーヒーメーカーがあるでしょ」と、若い男が答えた。

「『今』だって。私はもう十分も待っているんだぞ」と所長は不満げに言った。

「手が離せないんです、所長。今日の午後に納品なんですよ。コーヒーどころじゃないんです。少しは手伝ってくださいよ」と、若者は焦りを隠せない様子で言った。

「ワシはもう八十個こしらえた。手がくたくたなんじゃよ、勘弁してくれ」と、所長は自分の努力を強調した。

「たった八十個くらいなんですか。私は五百個ですよ。そのうえ、あと三百個残っているんです。所長が自分で持ち込んだくせに、結局私がほとんど作っているじゃないですか」と、若者は怒りを込めて叫んだ。

ダンボール箱が山積みになった部屋の奥から、若い職員の怒鳴り声が響いた。

向かいには、すっかり休憩を決め込んだ、白衣を着た老人がタバコをふかしていた。

老人はフレデリック・オットー、ウインドベル自然科学研究所の所長。青年の名前はケンジ・オカムラ、日系の学生で専攻は社会学だった。

二人は昨夜から、事業所二階の一室で、副業の納品期限に追われていた。

若者は白衣を脱ぎ捨て、シャツ一枚で汗だくになっていた。

「一体、どこでこんな馬鹿馬鹿しい仕事を見つけてきたんですか」と、彼はダンボールの壁に囲まれながら、愚痴をこぼした。

箱の中には、白いビニール製のフィギュアが並んでいた。

彼はその一つを手に取り、黒の塗料のついた絵筆でフィギュアを丁寧になぞった。

フィギュアは犬の形をしていた。パッと見、ゴールデンレトリーバーに見える。

黒い塗料で目の周りを描いた後、床に並べて乾かす。乾いたものには、今度は同じ塗料で耳と足を塗らなければならない。それを乾かして、元の箱に戻し、三十個ごとに梱包することになる。

「職業安定所の掲示板に出ていたんだ」と、東芝のコーヒーメーカーから二つのカップに注ぎ入れながら、オットー氏は言った。

自分のコーヒーをデスクに置くと、もう一つをダンボールの牙城に差し入れた。ケンジはそれを受け取りながら、所長に尋ねた。

「このパンダは変ですね。そう思いませんか?」

「どこが変なのかね?」と所長はうろたえて訊き返した。

「顔が犬だし、パンダの尻尾って丸っこいんですよ」

「そ、それがどうしたというんだ」

「これは犬ですよ。犬をパンダに偽装してるんですよ、所長」と、ケンジはコーヒーを飲んだ。墨汁を飲んでいるような味がした。

「仕事の内容をよく確認しないから、こんなろくでもないものを作ることになるんですよ」と、彼は不満を漏らした。

「私だって、まさかウインドベル職安にいい加減な内職が掲示されているなんて、思いもしなかったんだ。百均ショップに売り出すとか説明されたけど、こんなの売れるのかね?実際」と、所長は自嘲気味に言った。

「安定所はたぶん、現物は見てないと思います。本当にこんなんでいいんですか。目の周りを黒く塗っても、病気の犬にしか見えませんよ」と、ケンジは疑問を投げかけた。


「病気の犬をパンダに偽装するのが、依頼主の要望だ」と、所長は冷静に答えた。

「買う人がいるんですかね」と、ケンジは不安げに尋ねた。

「ワシは買わんけど、作業賃は確実にもらえるからな。丁寧に作ってくださいと言われた」と、所長は淡々と言った。

「丁寧に作っても、犬は犬だよ」と、ケンジは呟いた。

「コーヒー、もう一杯飲むかい?」と、所長は再び尋ねた。

「いいえ、もういいです」と、ケンジは空のコーヒーカップをデスクに戻した。

オットー所長は、カップを手に取りながらも、ケンジの作業をじっと見つめていた。

「これで何とか、お前さんのバイト代が払えそうだよ」オットーはついひとり言を漏らした。

「何か言いましたか?所長」ケンジは顔を上げて訊ねた。

「あっ、いや、ふむ、これは確かに変わったパンダだ。しかし、この仕事を通じて、お前さんも色々と学べただろう?」と、所長は意味深な笑みを浮かべた。

ケンジはため息をつきながら、所長の言葉に面倒臭そうに頷いた。確かに、この奇妙なバイトを通じて、社会学の勉強に役立つ多くのことを学んだような気がする。

人々がどのようにして価値を見出し、またそれをどのように消費するのか。しかし、今はそのことを考える余裕はなかった。

「学べたことは多いですが、今はただ、納品期限が気になるだけです」と、ケンジは答えた。

「そうか、そうか。しかし、お前さんの若さなら、何とかなるさ」と、所長は励ますように言った。

その時、研究所の外から、ワゴン車のドアが閉まる音が聞こえた。

二人は顔を見合わせた。

何かが始まる予感がした。
 

つづく

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