世界から少しずれた誰かの、声にならない叫び。ささやかな祈り

時の彼方で 28 彼方

時の彼方で 28 彼方

28

南島原、原城の石垣に冷たい風が吹き付ける。

天草四郎の姿をした松井大和は、城壁の上から遠くを見つめていた。

冬の厳しい寒さが彼の骨身に染みる。

空は鉛色に曇り、いつ雪が降り出してもおかしくない天候だった。

城下では、幕府軍の包囲網が日に日に狭まっていく。

兵糧攻めの効果は着実に現れ始めており、原城内の食料は底をつきかけていた。

大和の耳に、近くで咳き込む音が聞こえる。

振り返ると、痩せこけた農民の姿があった。

「大丈夫か?」

大和は優しく声をかけた。

農民は弱々しく頷いたが、その目には諦めの色が浮かんでいた。

大和は胸が締め付けられる思いだった。

城内を巡回すると、至る所で同じような光景が広がっていた。

飢えと寒さに苦しむ人々。

傷ついた兵士たち。

泣き叫ぶ子供たち。

これらの光景に、大和の心は痛んだ。

「こんなはずじゃなかった」

大和は呟いた。

彼は歴史の教科書で読んだ島原の乱の結末を知っていた。

しかし、実際にこの場所に立ち、苦しむ人々を目の当たりにすると、その残酷さに耐えられなくなった。

夜が更けると、大和は自室に戻った。

蝋燭の揺らめく光の中、彼はドン・パルマを呼び出した。

「彼らを救ってやってくれ。僕の命に代えてもいい」

大和は必死に訴えた。

ドン・パルマの姿が薄暗い部屋に浮かび上がる。

その表情は厳しく、同時に悲しげだった。

「いや、お前は務めを果たした。志半ば病死した天草四郎の役目を、な。お前はあの少年によく似ていた。気性すら似ていた。ともかくよく皆を率いた。ありがとう。これで歴史は動いていく」

大和は歯を食いしばった。

「でもこのままでは彼らは死んでしまう」

「そうだな、だがこの闘いが実を結ぶには、もっともっと時間が必要なのだ。それはお前も知っているだろう」

ドン・パルマの言葉に、大和は何も言い返せなかった。

彼は窓の外を見た。

月明かりに照らされた城下の風景が、まるで絵画のように美しく見えた。

突如、遠くで銃声が響いた。

大和は我に返り、剣を手に取った。

しかし、その瞬間、彼の視界がぼやけ始めた。

「なっ、何が…」

大和の意識が遠のいていく。

最後に見たのは、ドン・パルマの悲しげな表情だった。

 

横井岳人は汗だくで目を覚ました。

夢の中で見た光景が、まだ鮮明に残っている。

彼は震える手で額の汗を拭った。

窓の外を見ると、まだ夜は明けていなかった。

しかし、岳人の胸の中には、何か重要なことが起きているという予感があった。

彼は急いで服を着替え、松井大和が入院している病院へ向かった。

病院の廊下は静まり返っており、岳人の足音だけが響いていた。

大和の病室の前に着くと、驚いたことに、そこには既に佐々剛介、猿渡飛雄、狩野陽向が集まっていた。

四人は驚きの表情を交わした。

〈君たちも…〉

岳人は手話で尋ねた。

他の三人も頷いた。

全員が同じ夢を見て、ここに来るように導かれたのだ。

彼らは静かに病室のドアを開けた。

大和はベッドに横たわったまま、相変わらず意識不明の状態だった。

酸素カテーテルは外されていたが、点滴のチューブやモニターに繋がれている。

岳人は大和のベッドサイドに近づき、その手を握った。

「大和、聞こえるか? 俺たちだ」

しかし、大和からの反応はない。

四人は悲しみに暮れ、互いを見つめ合った。

突然、部屋の空気が変わった。

四人とも耳が聞こえないはずなのに、頭の中で誰かが話しかけてくるのを感じた。

その声の主は、ドン・パルマだった。

「今から、友人を覚醒させる。力を合わせるのだ」

病室の空気が重苦しく変わっていった。

「友の名を強く念じよ」

四人は大和のベッドを取り囲み、互いの手を取り合った。

彼らは心の中で、大和の名前を何度も繰り返した。

狂おしい時間が経った。

ドン・パルマの呪文はまだ続いている。

心なしか、大和の顔色に生気が戻ってきたように思えた。

モニター画面の波形が変わった。

そしてゆっくりと、大和の指が動き始めた。

まぶたが震え、そしてついに目が開いた。

「みんな…」

大和の声はかすれていたが、確かに唇はそんなふうに動いた。

ベッドを覗き込む四人は、堪らず破顔した。

五人は再会の喜びに包まれた。

佐々剛介はガッツポーズを取り、狩野陽向と猿渡飛雄は涙ながらに抱き合い、横井岳人はただ静かに微笑んでいた。

窓の外では、夜明けの光が差し始めている。

大和の瞳はまだぼんやりとしていた。

岳人が手話で尋ねる。〈大丈夫か?何か覚えているか?〉

大和はゆっくりと辺りを見回した。

「夢を…見ていたような…」

剛介が身を乗り出す。

〈どんな夢だ?〉

「寒かった…城壁の上で…」

大和の言葉は途切れがちだ。

陽向と飛雄が顔を見合わせる。

全員が、荒涼とした冬の原城で、天草四郎の姿をした大和と出会ったことを鮮明に覚えていた。

そして、ドン・パルマの声も、まるで昨日のことのように耳に残っていた。

まるで、誰かに導かれたかのように、全員が同じ夢を見て、この病室に集まったのだ。

それは、単なる偶然とは思えなかった。

看護師が部屋に駆け込んでくる。

モニターの異変に気づいたのだ。

しかし、目の前の光景に彼女は言葉を失った。

意識不明だった患者が身体を起こし、友人たちと静かに対話している。

医師たちが集まってきた。

直ちに検査が始まった。

その間、四人は廊下で待つことになった。

陽向が手話で問いかける。

〈これからどうなるんだろうね?〉

岳人が答える。

〈大和が目覚めた今、俺たちの旅は終わったんだ〉

剛介が頷く。飛雄も同意した。

数時間後、大和は驚異的な回復を見せ、やがて両親も駆けつけた。

病院を後にする四人の表情は、安らぎに満ちていた。

四人は見つめ合い微笑んだ。言葉は必要なかった。

彼らの背後で、幻のようにドン・パルマの姿が浮かび上がった。

その表情には、謎の微笑みが浮んでいた。

横井岳人が手話で言った。

〈おっさん、いい加減に素性を明かせ。俺たちの味方なのか、それとも敵なのか?〉

ドン・パルマは何も答えなかった。

岳人はさらに続けた。

〈大和の命を救ってくれた恩は忘れない。だが、まだ俺たちを利用するつもりじゃないだろうな?〉

他の三人も、苦笑しながら空を見上げた。

ドン・パルマの微笑みは、春風のように四人の背中をそっと押した。

 

四人は病院の敷地を出た後、桜並木の道を肩を並べて歩いて行った。

川面には桜の花びらが散り、春の息吹を感じた。

佐々剛介が問いかけた。

〈卒業したら、何をする?〉

横井岳人が答えた。

〈大和には一緒にバンドを組まないか、と言われた〉

〈で?〉

〈聴こえるやつと組め、って言ってやったよ〉

〈…だよなー〉

川面を流れる花びらの中に、一枚だけ、逆らうように遅れて漂う花びらがあった。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。
この物語は、ここで終わります。

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