21 レイの馬飼い計画
久し振りに緒方が、村の住まいへ姿をみせた。
「ねえ、マリコ君。レイはどこにいるか知ってる?」
緒方は、宇宙船の修理に没頭していたせいで、ひげを剃ることも着替えることも忘れていた。汚れたジャンパーとズボンに身を包み、ぼさぼさの髪とひげで顔を覆っていた。彼の姿を見たら、誰もが彼を見捨てられた浮浪者だと思うだろう。
「知らないわ。それにしても臭いわねぇ。ちょっと、これ脱いでよ」
「これしか着るものがないんだよ」
「お爺さん(長老)が替わりの衣類を持ってきてくれたの。これから、男たちの衣類をまとめて洗濯するんだから、サッ、脱いで」
部屋の隅に、汚らしい衣類の山があった。
これがまた、くさいのなんの、ほとんど汚物といって等しい、熾烈さ極まる、凄じき代物である。
その横に、最初は村を漂っている妖精かと思っていたが、白い衣類を着た、脇田とユキオが立っていた。
「自分たちで洗濯するのよ。 緒方さんもね」
「わかったよ」
脇田が答えた。
何かあきらめきった、ふてくされた態度だった。
たぶん、今までさんざんマリコにしぼられていたのだろう。
「いいわよ。私がやるから。緒方さん、どうだった」
奥の部屋にいた、由里子が顔を出した。
「ああ、うまい具合に輸送船が通りかかったんだ。やはりここは、マリナスからあまり離れていないそうだ」
「じゃあ、アキュラはマリナスの衛星なのかしら?」
「そうらしい。あの船でも十分帰れるよ。ところでレイは?」
「昨夜出ていったきりよ」
意外にあっさりした口調で、彼女は答えた。
『すぐ帰ってくると思うよ、うん』
なぜかユキオが手話で同意した。
しかし、わざとらしい手の動きだった。
皆で申し合わせたような雰囲気だった。緒方には変に思えた。
脇田も真剣な表情をしてこの場にいたものの、彼にしては妙に口数が少ない。
「フライトのことで、やりあったのかい」
緒方のストレートな問いに対して、由里子はうなずいた。
緒方は肩を落として、ため息をついた。
「また例の臆病風か」
緒方は腕を組んで、部屋の中を忙しく歩き回った。
「まったく、何てこったい」
由里子は洗濯物を籠にかき集め、小屋を出て行こうとしていた。
それが異常な慌て方だったので、緒方は不審に思った。
「由里子さん、ちょっと待って」
「なんですか」
「レイの居場所を知っているんだろう」
「知りませんよ、そんなこと」
「なんか変だな」
「なにが変なんです?ねえ、脇田さん」
由里子は傍らにいる脇田に聞いた。
「べ、別に変じゃなかったりらりですよ」
途中からロレツが回らなくなる彼であった。
緒方は笑いをこらえ、困った顔をして
「おいおい、やめてくれよ。いったい何を隠しているんだい。 レイの居場所を知っているのなら教えてくれてもいいだろ?」
小屋の中は、しんとした。
「場所がわかったら、どうするの」
マリコが言った。
隣にいる脇田が顔をしかめているのは、彼女に足を踏んづけられているためだ。
大根役者はアドリブが苦手なのだ。
「きまっているさ。ここに連れ戻すんだよ」
「どこに行くかは、僕にも教えてくれなかった」
「帰りたくないのかい?それに時間がないんだ。三日以内にフライトしないと、輸送船は待ち切れないんだ」
「マリナスへ帰るんじゃなかったの?」
「直接帰るのは無理だ。輸送船のデッキに着陸して、運んでもらうことになった」
「それだったら、捜す必要はない。 レイは今夜には帰ってくると言ってた」
「えっ、何か用事があって、出てるってことかい?」
緒方は驚いて、疑い深そうに、それは本人がそう言っていたのかと、今度は由里子に聞いてみた。
「そう。それに一人で出ていったんじゃないの。長老や村人たちと一緒よ」
「何をしに出かけたんだい」
「さぁ、そこまでは聞かなかったわ。そういえば最近、長老と話こんでいることが多かったわね。マリコ、ユキオちゃん、何の話か知らない?」
マリコとユキオは顔を見合わせ、黙って首を振った。
「ああ、何か馬の話をしてたみたいだけど…」
パソコン操作をしていたレオが面倒臭そうに顔を上げた。レオの言葉はそれきり出てこないので、しびれを切らしたように翔太が話し出した。
「あ、レイさんは馬が好きなんだよね。それで村の会合で、長老に色々馬のことを質問してた。馬の飼い方とかね」
「でも、『馬を地球に持って帰りたい』って言い出した時には、さすがに村人たちの困った顔をしていたわね。レイさんって、何考えてんのだか」
側にいた美咲が可笑しそうに言った。
「それでもう一度聞くけれど、レイは何しに出掛けたんだ?」
緒方が全員に訊ねた。皆、首を傾げるばかりだった。
今度は由里子が口を開いた。
「それからフライトの件だけど、あっさりOKしてくれたわよ。ただし、条件付きで」
これを最後にパイロットを辞めるというのが、その条件だった。 妻である由里子にとってとても深刻なことなのに、彼女の表情に不安の色はまるで見受けられなかった。
「また、いったいどうしたことだ。君はそれでいいのか」
「もちろんよ」
「辞めた後の生活はどうするんだ。子供もいるんだろ。まさか別れるなんて言い出しゃしないだろうね」
「別れる?そうね。一度別れた方がお互い、いいのかもしれないわね」
由里子は、緒方の驚いた顔を見て、思わず笑ってしまった。彼女は髪をかきあげながら、ふわりとした声で言った。
「やぁね、冗談よ。みんな、何て顔をして」
と言って、そばにいる緒方の肩を軽く叩いた。彼女の目には、悪戯っぽい光が宿っていた。
「レイが辞めるのは、もともと私が望んでいたことなの。家庭を持ってからというもの、あの人は夢のない人間になってしまったのよ。苦しそうに生きているように見えて、じれったくてしょうがなかったわ」
「そいつは誰にでもあるんだ」
「そうね。でもそれは、夫としての体面を気にし過ぎているせいじゃないかしら。 私はレイ自身が好きなの。 彼が職業に誇りを持つのはかまわないけど、私にとってはどうでもいいことなの。少なくともそんなくだらない打算はなかったわ。だから……」
彼女は一息ついて、また話し出した。
それは、緒方や他の誰かに対して向けられたものではなかった。
長い間に渡って鬱積した何かが、彼女を喋らせているのだ。
「あの人が『やりたいことがあるからパイロットを辞めたい』って私に言ってくれたとき、本当に嬉しかった。やっと、私のことを少しわかってくれたような気がしたの」
彼女は一気に喋ってしまうと、我に返り、洗濯物を抱えて外へ出ていった。
頬を少し赤らめていた。後ろ姿がいじらしかった。
「それで辞めて何をやるつもりなんだ」
脇田が呆然として言った。
「たぶん牧場経営だろう」
「いや、間違いなく牧場経営だろうな。あのshallow manが…」
緒方が、後ろで何かぶつぶつ言っていた。
「shallow manって、何なの?」
マリコが不思議そうに、振り返って聞いた。
「浅い男ってことさ。マリナスの馬を持ち帰って、地球で牧場経営するつもりらしい」
と、緒方は力なくつぶやいた。
「馬が死ぬぜ。なぁ、レオ」
脇田は博識なレオに訊いた。
「ええ、死にます。そんなこと僕に訊かなくても明らかです」
ともあれ…
レイは、夜通し村人たちとどこか遠くにいた。
そして朝もやが立ち込める頃、村人たちとともに帰ってきた。
さすがに馬を連れては来なかった。
つづく
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