1 密猟者
真夜中、チェインバーグの森はとても静かだった。二人の男が禁猟区の山中を歩いていた。二人とも黒ずくめの格好で、散弾銃を背負っている。森の中に入ってからというもの、彼らはしばらく会話がなかった。
ひどく歩きにくい道だった。長く伸びた雑草に足を取られて、話をするどころではなかった。ふもとにおいた車から、すでに一時間近く山道を歩いていた。
ディックは、前を歩くフレッドに声をかけた。
「なあ、フレッド」
ディックは小声で言った。
「何だ?」
フレッドは振り返らず答えた。
「まだ、獲物の巣に着かないのか」
フレッドは肩をすくめた。
「とっくに着いていいころなんだ」
「とっくに、ってのはどういうことだよ」
ディックは尋ねた。フレッドは何も言わなかった。ディックはいらいらした。
「とっくに、ってのは、どういうことだと聞いているんだよ、フレッド」
「お前はバカか?道に迷ったって言っているんだよ」
いらいらしているのは、ディックだけではなかった。
二人は無言でそのまま歩き続けた。
ディックはよほどフレッドを殴り倒してやろうかと思ったが、かろうじて思いとどまった。
ディックは小男なのだ。もっともフレッドと比べれば、たいていの男は小男に見えてしまう。フレッドは背丈がニメートル近くもあった。
山道がとぎれ、二人の前にけわしい崖がそびえていた。
「どうするんだよ、おい」
ディックはフレッドに聞いた。フレッドは崖を見上げた。
「まちがいねえ。ここだよ、ディック」
フレッドは言った。そして崖を指さした。
「あの洞穴を見てみろ」
崖の中腹あたりに、数箇所の洞穴があった。
穴の直径は、どれも一メートル以上だった。
ディックは目をこらした。
「何か動いているぞ」
ディックが言った。
「あれだよ。あいつをしとめるんだ」
フレッドが愉快そうに言った。
二人は背中から散弾銃をおろした。弾を込め、両手に持つと、そろそろと崖へ近づいた。
崖の真下に来ると、洞穴の生き物が外へ出てきた。生き物はすばやく崖を駆けおり、草むらへ姿を消した。二人の気配には、まるで気がついていない様子だった。ディックは草むらへ向かった。
「あいつを追うんじゃない」
フレッドはディックを引き止めた。
「どうしてだ?」
「どうしてもだ」
「もったいないじゃないか、フレッド」
フレッドは夜空を仰いだ。
「いいか、ディック。俺たちは狩猟者団体から派遣されたわけじゃない。それはわかるな」
ディックはフレッドの顔を見上げながら、頷いた。
「食い物に困っているわけでもない」
フレッドは言った。
「だから何なんだ?」
「獲物をしとめました。こいつをジビエ肉として卸せば、一か月は遊んで暮らせるっていうのが、お前の発想なんだろ」
ディックは激しく頭を振った。
「誰もそんなこと言いやしない」
フレッドは嘲笑を浮かべた。
「お前は駆除という、トップの指示が分かっていない。いいか、巣穴にありったけの弾をぶちこむんだ。そうすりゃ、次から次へ奴らが出てくる。それを狙い撃ちするのさ」
ディックはへどが出そうだった。あんな害獣、誰が食うもんか。
「それで俺は何をすりゃいいんだ」
ディックは尋ねた。
「お前は草むらに隠れろ。俺は巣穴に一発ぶちかます。そして逃げる。お前はやつらが這い出して来たところを撃て」
まるで子供の遊びのように聞こえた。ディックは文句を言わず、草むらへと歩いていった。
草むらに潜むと、ディックは手を振って合図をした。
やがて発砲音がした。
洞穴からは何の反応もなかった。フレッドは洞穴まで引き返し、穴の中を覗いたが、何も見えなかった。
フレッドはもう一度散弾銃をかまえた。その時、洞穴の岩肌にうごめく物が見えた。ターゲットだった。フレッドはほくそ笑んで銃を発砲した。
大きな黒い何かが飛び出してきた。
ディックは緊張した。何とかしなくてはならなかったが、緊張しすぎてどうにもできなかった。銃を使おうにも、フレッドのデカい図体が邪魔だった。
化け物はフレッドに飛びかかり、頭からフレッドを抑えつけていた。さらに洞穴から二匹の化け物が続けざまに這いだしてきた。フレッドは化け物にもみくちゃにされていた。
ディックはとりあえず威嚇発砲した。それに驚いた一匹が、フレッドから体を離した。
ディックはその一匹を狙撃した。弾は命中したはずだが、化け物は倒れなかった。洞穴に逃げ帰っただけだった。
残る二匹は、フレッドが必死で発砲したため、草むらへ逃げ出していった。
「大丈夫か、フレッド」
フレッドはその場に倒れていた。
「動けるか?」
ディックは彼の体を揺さぶった。反応はあったが、全身が硬直しているような感じがした。
「起こしてくれ」
フレッドは言った。声がかすれていた。
ディックはフレッドの肩を担いだ。ニメートルの図体が力なく歩きだした。
「背中が痛い」
フレッドがうつむきながら言った。
「何だって?」
「背中が痛いんだ」
フレッドのシャツを捲りあげると、背中に大きな瘤ができていた。瘤は発赤していて、傷口があった。そこから少し出血したようだ。
「刺されたんだ、ディック。もう引き返そう」
フレッドは力なく言った。
ディックはフレッドを支えながら、下山した。下山する途中で、フレッドの呼吸が荒くなった。ディックは大声でフレッドの名前を呼んだ。
「大丈夫だ。まだ歩ける」
フレッドは作り笑いをした。それは強がりだとすぐ分かった。フレッドの唇が紫色に変わっていたからだ。フレッドは息が苦しそうだった。
ふもとまでたどりついて、ディックは自分の車にフレッドを担ぎこもうとした。フレッドはわめいた。
「お前のミニバンじゃない。俺の車に乗せてくれ」
「無理だよ、フレッド。お前の車は後で俺が取りに来てやる」
フレッドはわめいた。
「駄目だ。俺の車に乗せてくれ。運転くらいできるさ」
「わがままを言うな」
「違うんだ、ディック。俺たちは密猟者なんだぞ」
ディックは言葉に詰まった。
「密猟者なんだ。車を乗り捨てていくわけはいかない。俺の車まで担いでくれ。運転はできるさ」
ディックはフレッドを車まで連れていった。フレッドは運転席に座ると、窓を開けた。
「なあ、背中はどうだ」
ディックは尋ねた。
「痛むさ」
「あの化け物の姿を見たか」
「ああ、あいつらは獣じゃなかったな。何なのか良くわからないが」
「苦しいのか」
フレッドはぐったりとしていた。それでも頑固に運転すると言い張った。
「先に行ってくれないか。お前の車のリアランプについて行きたいんだ」
ディックは自分の車に戻り、発進させた。
フレッドのピックアップトラックがその後に続いた。
森を抜けて、自動車が湿地帯にさしかかった。ディックは不安になった。相棒の車が、なかなかやってこないのだ。
ディックは車を止め、ヘッドライトを消した。まだ外は真っ暗だった。
彼は車の窓から、走ってきた道を振り返った。何も見えない。ディックはため息をついた。
膝が無性にがたがた震えていた。
「ちくしょう」
彼はかぶりを振った。こんなことなら、力ずくでもフレッドを同乗させるべきだった。
ディックは、雑誌や空き缶で埋まった助手席から、たばことライターを探りだし火をつけた。
彼は指の震えるのが、どうにか止まってくれないものかと思った。
実のところ震えているのは、指だけではなかった。体全体が震えていた。不安からのものか、寒さからのものか、恐らくどっちもあるだろう。
ディックはたばこを吸い終ると、もう一度後ろを見た。ピックアップトラックは見えなかった。
彼はヘッドライトを点灯した。そして再び車を発進し、Uターンさせた。
森へ引き返すと、トラックは路肩の茂みに潜りこんでいた。ヘッドライトを点灯したままだった。
「フレッド!」
ディックはピックアップトラックのドアを開けた。フレッドの顔は弛緩しきっていた。
胸に手を当ててみた。心臓も呼吸も停止していた。
ディックは、トラックのヘッドライトのスイッチを切り、静かにドアを閉じた。
彼は無言で、自分の車へ戻っていった。
つづく
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