15
タバコの匂いが充満しているリプリーのセダンの中。
車内は下水道より臭かった。
古びたシートには焦げ跡があり、ダッシュボードには埃が積もっていた。
窓ガラスには手の跡がくっきりと残っており、まるで数年間掃除されていないかのようだ。
リプリーは男を乗せて、付近の工場の駐車場へ行った。
工場はプレハブ建築の白い建物で、辺りは山に囲まれていた。
山の斜面には薄暗い木々が生い茂り、風が吹くたびに葉の擦れる音がかすかに聞こえてくる。
遠くには鳥の鳴き声がこだましていた。
「フレデリックを殺したのは、お前だろう」
警部補は車内で、ダウンジャケットの男を詰問した。
車内の薄暗い照明が、男の顔に陰影を作り出し、その表情をさらに険しく見せていた。
デイックの表情に、リプリーの期待したものは現れなかった。
しかし妙に落ち着きがなかった。
額には汗が浮かび、目はあちらこちらをさまよっていた。
「何を言っているんだ、刑事さん」
「ほう…そうきたか」
リプリーは深呼吸をし、指の関節をポキポキ鳴らした。
重苦しい沈黙が車内に流れた。
「待ってくれ、あいつは森へ出かけて行って、バカでかいハエに襲われたんだ」
「ハエだって?お前は頭がおかしいのか。自分の言ってることがわかっているのか」
「いや、本当なんだ。ブレッドはハエに殺されたんだよ、刑事さん。あの森の奥に、こんなでかいハエがいるんだ」
デイックは、まるで創造性のあり過ぎる子供みたいだった。
それでもリプリーに信じてもらおうと、必死だった。
目は真剣そのもので、手は震えていた。
「オジさんには、とても信じられないね。窃盗容疑者はへたな嘘をつくもんだが、あんたのはずいぶん突飛な供述に聞こえると思わないか、ディック。そういうのを大ボラというんだ」
「う、嘘じゃねぇ。嘘じゃないんだ。本当だ。誰も信じてくれねぇ。仕事仲間も病院へ行けと言いやがる。あんたみたいに、俺が殺したと思っているやつもいる。本当なんだ、お巡りさん」
デイックはダッシュボードに頭をもたれて、泣き出した。
リプリーは、やれやれ今度はウソ泣きかと、しばらく眺めていた。
涙がシートにぽたぽたと落ち、静かなすすり泣きが車内に響いた。
リプリーはそれを見て、今朝のオットーを思い出した。
何かに生気を抜かれて、弛緩した表情。そして唐突に訪れた息苦しさ。
この男の言う通り、何かを見たに違いない。
「分かった。そこへ行ってみよう。お前の言うことが本当なら、俺はお前を信用してもいい」
デイックは顔を上げた。涙で濡れた頬が光っていた。大人に許されて泣き止んだ子供みたいだった。
「少なくとも、お前が殺したんじゃないということを、信じていいと言っているんだ」
本当か…。ディックは疑い深くリプリーを見つめた。
リプリーの表情には、疑念と共感が混ざり合っていた。
「あのGT-Rは没収する。密猟程度では、たいした罪にはならんはずだ」
デイックはしばらく警部補の目を見ていたが、やっと口を利いた。
「例の場所へ案内するよ。でも、禁猟区でのハエ退治も密猟のうちに入るのかい、刑事さん」
「実は俺にも分からん。興味があるのは、そんなことじゃない」
すでに辺りは夕暮れていた。
リプリーは車のエンジンをかけ、ヘッドライトが薄暗い工場の敷地を照らし出した。
車はゆっくりと森の方向に進み始めた。
つづく
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