世界から少しずれた誰かの、声にならない叫び。ささやかな祈り

時の彼方で 6. 道場

時の彼方で 6. 道場

夏の日差しが照りつける中、五人の少年たちはあてもなく町を歩いたが、やはり元の飯屋に戻ってきた。

突如、飯屋から騒々しい声が聞こえてきた。

松井大和が手を上げて仲間たちを止め、注意深く状況を探った。

紺色の暖簾から、声の主らしい人物の姿が伺えた。

店内には、葛西道場の若殿、合志仙蔵とその取り巻き三人がいるのが見えた。藤崎閃電の姿も見えた。

中で飲食している、三人の若者に絡んでいるようだった。

緊張感が漂う空気の中、おかみの震える声が聞こえた。

「い、いらっしゃいませ…何にいたしますか?」

仙蔵は、女将を威圧するように睨みつける。

「別に構わぬでよい。こんな汚い飯屋で食う気など無いわ」

合志仙蔵は高圧的な態度で店内を見回し、鼻で笑うように言った。

「これはこれは、大久保道場の精鋭がお揃いのようだな」

その声に、大久保道場の弟子たちは身を縮めるように固まっていた。

「同じ藩の者ゆえ、互いに知らぬ間柄ではあるまい」

「若様にお酌を差し上げるくらいの気遣いがあってもよかろう!」

合志仙蔵の家臣、藤崎閃電が、門弟たちを問い詰めた。

中でも、耳の聞こえない師弟は状況が把握できず、困惑した表情を浮かべていた。

「えっ?何を申しておられる?」

たどたどしい喋り方だった。

大久保道場の門弟は、二人のやり取りを理解できずに戸惑っていた。

合志仙蔵はその様子にイラつき、さらに挑発的な態度を取った。

「何だこやつは!この俺を侮るつもりか!」

聞こえる門弟が必死に説明を試みる。

「つい失礼を…この者は耳が悪いので、何とぞお許しを」

しかし、合志仙蔵の怒りは収まらない。

「お主らの道場では、つ◯ぼに剣を持たせとるのか。つ◯ぼだろうが何だろうが、俺は許さん!おう、お前。刀を抜けぇ。この不始末、いかに償うつもりじゃ!」

耳の聞こえない弟子は必死に謝罪の言葉を口にしようとするが、上手く発音できない。その様子を見て、合志仙蔵はさらに苛立ちを募らせる。

この光景を見かねた松井大和は、静かに店内に入った。他の四人も緊張した面持ちで後に続く。

「静かにしなよ。お殿さん」

大和の冷静な声が響く。

合志仙蔵は振り返り、暖簾から顔をのぞかせている大和たちを認識する。

「ああ、おぬしらか。まだ町におったのか。さっさと出ていかんか」

大和は冷静さを保ちつつも、内心では怒りが沸き起こっていた。

「二度とお目にかかりたくなかったけど、黙って聞いてりゃ、何遍もつ◯ぼ、つ◯ぼ言いやがって。オレ、何か腹が立つんだよ」

仙蔵は、大和の言葉に激怒した。

「口を慎め!侍の抜いた刀、容易に鞘におさまるものではないぞ」

仙蔵は、大刀を鞘からゆっくりと抜き出す。

大和は、手話で仲間たちに指示を送った。

「そういうことなら仕方がない。この騒動、ろう剣士会がお相手しましょう」

大和は、落ち着いた声で告げた。

「ろう剣士…何じゃそれは…」

仙蔵は、聞いたことのない言葉に困惑した。

「ふざけおって、死ねい!」

状況は一気に緊迫した。

藤崎閃電が刀に手をかけた瞬間、佐々剛介が素早く動き、手刀で小手を打ち、刀を叩き落とした。

松井大和は落ちた刀を拾い上げ、合志仙蔵の背後に回り込んだ。

「騒ぎ立てると、このバカ殿の首からピュッピューと血が吹き出すことになるけど。それでも構わないんですか?」

大和の声には冷たさが滲んでいた。

合志仙蔵は顔を引きつらせ、「ええぃ、手を出すな!引けぃ」と叫ぶ。

大和は冷静に交渉を進める。

「じゃあ、このまま帰りおただけますかね」

仙蔵は渋々頷いた。

しかし、大和はそこで終わらせなかった。

「ちょっと待って、何か忘れてないかい?」と問いかけ、店内の惨状を指摘する。

「見てみなよ。皿を割るやら、料理をひっくり返すやら、全部あんたがしでかしたんだぜ。おかみに弁償するのが当然だろ」

大和は、冷静に続ける。

「弁償だと!? 馬鹿も休み休みに言え」

仙蔵は、怒りをあらわにする。大和は、さらに刀を強く喉に押し付ける。

「ああっ、刃を押し当てるな!」

「馬鹿も休み休みって、何だよ」

大和は、冷たく言い返す。

「ああっ、止せ。払えば良いのだろう!」

仙蔵は、恐怖のあまり、弁償を承諾した。

「オレ、耳が悪いんだけど」

横井岳人が耳に手をかざし、わざと聞き取れないふりをする。

「払うと言うとるんじゃ、早う離さんかい」

仙蔵は焦って叫ぶ。

岳人は手話で仲間たちに伝えた。

「払うって言ってるらしい」

藤崎閃電が渋々財布から銅銭を取り出すが、岳人は首を振った。財布を指さした。

「銀にしなよ。銀貨が入ってただろ」

「人の財布ば覗いて、何ば言いよっとか」

藤崎閃電は、怒鳴りつける。

「藤崎、銀をくれてやれ」

仙蔵が情けない声で促した。

「お勘定が済んだら、さっさと帰りなよ」

大和は仙蔵の耳元で静かに告げ、ようやく手をほどいた。

仙蔵の刀を土間に放ると、仙蔵は慌ててそれを鞘に収めた。

「おのれ…覚えてろ!おぬしらはつ◯ぼの分際で」

最後まで悪態をつきながら、合志仙蔵たちは店を出ていった。

静寂が戻った店内で、五人の少年たちは互いに顔を見合わせた。

大久保道場の三人は、店の奥で心配そうにこちらを伺っている。

大和が「大丈夫ですか?」と尋ねると、三人は頷いた。

「あの、あいつの話を聞いてて、だんだん腹が立ってきて、余計なことをしてしまいました」

大和は苦笑いを浮かべた。

他の四人は顔を見合わせ〈大和は自分は健聴者なのに、耳のことをからかわれると、逆上するんだよな〉と首を傾げた。

いずれにせよ…。

あの若殿が仕返しに来る可能性は高そうだ。

この界隈を離れた方がよさそうだった。

このまま彷徨いていたら、きっとおかみにも迷惑が掛かってしまう。

夕暮れ前に店先は、再び静けさを取り戻し、五人の剣士たちはその場を後にした。

 

つづく

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