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静香が招いてくれた家屋の店先には、「細川藩御用達」「豆類各種 穀物 大黒屋」という看板が掛かっていた。
どうやら大きな商家らしい。
五人の少年たちは、広い座敷に招かれた。
座敷には行燈が焚かれ、柔らかな光が漂っていた。一角には寝床が敷かれており、狩野陽向がそこに寝ていた。
「いや、困った時はお互い様でございます。どうぞ、腹の痛みが治まるまで、気兼ねなくお過ごしくだされ」
大黒屋の主人が優しく言った。
品の良い、痩せた初老の男だった。
「有難うございます」と一同は深々と頭を下げた。
大黒屋の娘、静香が心配そうに狩野陽向に近づき、「お腹の具合はいかがですか?」と尋ねた。
陽向はうまく喋れない。
代わりに岳人が答えた。
「おかげさまで、かなり楽になったようです」
「それは何よりでございます。お口直しに朝鮮飴をどうぞ召し上がりくださいませ」
静香は微笑みながら、手に持った小さな包みを差し出した。
〈朝鮮飴って、あの甘くてフニャフニャしたお餅?〉
狩野陽向が身体を起こし、目を輝かせながら、手話で訊ねた。
〈陽向!駄目だ〉と猿渡飛雄がたしなめるように手話で制した。
〈これ以上食うな!〉
岳人も手話でたしなめた。
〈分かったよ、岳人ちゃん…〉と陽向はしょんぼりとした表情を見せた。
「こいつの食欲は異常で、しょっちゅう腹痛を起こしているんですよ」
松井大和が苦笑いしながら説明した。
「お連れの方々は、手で話されてるようで…」
大黒屋の主人が興味深そうに尋ねた。
「ええ、耳が悪いんです」と大和が答えた。
「ほう、そうですか。ゆっくりなさるように伝えてください」と主人は優しく言った。
大和は手話で皆に「ゆっくりしていって、とおっしゃってる」と伝えた。
剛介、岳人、飛雄、陽向はそれぞれ頭を下げ、感謝の意を示した。
その時、遠くから笛の音が聞こえてきた。
「誰か笛でも吹いているんですか?」
大和が尋ねた。
「離れにお住まいの武蔵春信様というお方でございます」
大黒屋の主人が答えた。
〈武蔵春信!?〉と大和が驚いた表情で、指文字でその名を復唱した。
「藩の剣術指南役、大久保道場の師範代を務めるお方でございます」と静香が説明した。
「あぁ、そのお方の評判は、町界隈で耳にいたしました。結構有名な方なんですね」
大和が感心したように言った。
「やがて大久保先生のお嬢様とご成婚され、道場をお継ぎになることでしょう」
静香が続けた。
「道場の後継者ですか!? もし私の勘違いでしたら申し訳ありませんが、あの笛の音には滑らかさがありませんね。いつもあんな音なんですか?」と大和が尋ねた。
「いや、最近はだいぶ音が外れておるようです。あなたは、お耳は聞こえなさるようですな?」
大黒屋主人が訊いた。大和は頷いた。
「笛にお詳しいのですか?」
大和は赤面しながら説明した。
「僕の姉が吹奏楽部でフルートを吹いているんです。体調が悪いと聴いてる側がイラついちゃって、その時と同じ感じなんです」
「ふるーと…と申しますと」
静香が首をかしげた。
「横笛です。いやいや、剣の達人と聞いたんで、笛を嗜むとは意外でした」
大和が言った。
しばし沈黙の後、主人は笑い出した。
「ハッハッハ、なかなか面白いことをおっしゃられる方だ」
その時、再び武蔵の吹く横笛の音が風に乗って響いてきた。
ろうの四人は、しかめ顔して手で耳を押さえた。
そんな四人を見て、大和は訊ねた。
〈本当に聴こえんのか?〉
四人は首を振りつつ答えた。
〈全然〉
つづく
