36
夜明け前、トラックはチェインバーグのM地区に到着した。
パルチノンの出張工場の中に…。
倉庫内はもちろん、作業所も無人だった。
若者はトラックを製品搬出所に入れた。
パルチノン食品加工第五セクション。
何かを生産するための工場ではないことは、今では従業員の誰もが知っている。
ハーバートは無人の作業ラインを眺めた。
入社した頃が懐かしかった。
彼は最初、流れ作業のラインで働いていた。
調理済みの肉にパン粉の衣をつける作業だった。
次から次に肉片がベルトコンベアーの上を流れてくる。
肉を素っ裸のまま流してしまって、随分怒鳴られたっけ。
それでも面白かった。
あの頃は、みんな頑張っていた。
自分たちのやっていることが、やがて幸せの実になるだろうと思っていた。
しかし、そんなことにはならなかった。
このチェインバーグで、パルチノンは俺たちの作業の出来高とは無関係のところで勢力を伸ばした。
俺たちはただの置き駒だった。
企業としては、懸命に働いている従業員の姿のスナップが欲しかっただけだ。
それと過去を清算するための人材も。
それに気づくのが遅過ぎた。
とにかく何も知らない頃が、一番幸せだった。
若者は倉庫の電動シャッターを閉めた。
トラックの荷室からバギー車を降ろさなければならなかった。
「どうだった、ハーバート。うまくいったかね」
背後に金ラメと側近が立っていた。
だいたいいつも一緒にいる。
こいつらゲイか、若者は舌打ちした。
ハーバートに限らず、この二人に何度か会えば、誰でもそう思う。
「うまくいったかどうか、私にはまだ分かりません、会長」
ハーバートは自嘲的な口調で答えた。
側近は金ラメの表情を伺っていた。
ボディガードは大男だったが、彼自体は何の判断力も持たないようだった。
主人の表情を見て、行動するに過ぎない。
パルチノン特製のペットフードでも食っているんだろう。
「一匹残らず焼いてきましたが、かなりの数だったので、念を入れて山も焼いてきました。私の姿を見た者はないはずです」
ハーバートは三歳児に対するのと同じように、会長に向かって言った。
金ラメは満足気に頷いていた。
「上出来だ。君は優秀な社員だ」
「ありがとうございます」
「疲れただろう、ハーバート。しばらくゆっくり休んでくれ」
「ええ、お言葉に甘えて」
ハーバートはトラックを振り返った。
こいつの中身を片づけて帰るべきか、あるいはほったらかして帰るべきか、そこが難しい問題だった。
「トラックの中の物はどうしましょうか」
「他の者に処分させる。君はこのまま帰りたまえ」
「しかし、このままだと危険だと思いますが」
「かまわん。帰りたまえ」
「そうですか」
ハーバートは工場を出た。
工場の敷地に止めてあった軽トラックに乗ると、急発進させた。工場を振り返った。
別に隠すつもりはないが…。
あのトラックの中に、大バエが潜んでいるのだ。
ハーバートは、工場が見える丘の上に車を止めた。
しばらくして金ラメと大男が、大声で何かを怒鳴りながら、工場から飛び出してきた。
彼らは夜明けの敷地内を駆け巡った。
これはハーバートの仕組んだことではなかった。まったくの偶然だった。
大バエの一匹がトラックの荷室に居座っていたのだ。
故意に忍ばせたのではなかった。
山の中でバギー車を格納する時、ハエが天井にへばりついていたらしい。
運転中にハエの羽音が聞こえてくるので、工場へ帰った時に、叩き殺そうと考えていた。
自業自得だ、ハーバートは走り回る二人に舌打ちした。
「バカ野郎。来るんじゃねえ。向こうへ行けったら」
金ラメは怒鳴っていた。
背後から大バエがゆっくりと追従してくる。
金ラメは大声で「来るんじゃねえ!」と怒鳴るが、大バエは悠々とその背後を飛び回っている。側近は、会長が自分に怒鳴っているのだと勘違いし、右往左往していた。混乱する二人と、大バエとの不思議な円運動がそこにあった。
ハーバートは軽トラックから、その光景を眺めながら、ある考えにたどり着いた。
彼はこの土地を捨てる決心をした。
つづく
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