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翌朝、窓から差し込む陽光が僕の頬を撫でた。久しぶりに気持ちの良い朝だった。

寮の食堂で簡素な朝食を済ませると、体を動かしたくなって近所の公園へ足を向けた。

緑陰の小径をゆっくりと歩き、ベンチに腰を下ろす。

ジャングルジムで無邪気に遊ぶ子どもたちの声が、静かな朝の空気に響いていた。

その光景をしばらく眺めていると、心が和んだ。

腕時計に目をやると、もう出勤の時間が近い。

重い腰を上げて公園を後にし、施設へ向かった。

施設の玄関前で、思いがけず寮のリーダーである船橋と鉢合わせた。

彼は手話はそれほど上手ではないが、身振りが豊かで表情も分かりやすい。

僕とは口話で、平石とは手話で話すことが多い。

「やぁ、今から仕事かい?」

船橋の声は明るかったが、その瞬間、彼の目が僕から逸れた。

人懐っこい笑顔の奥に、何かを押し隠すような影がちらつく。

「はい、これから日勤です。船橋さんは夜勤明けですか?」

「え、あ……うん。早く帰って寝たいよ」

返答に一瞬の躊躇があった。船橋の手が無意識に首筋を触る。

これは男性が嘘をつく時によく見る癖だった。

「ところで、昨夜は何をされていたんですか?」

昨夜のことが気になって尋ねてみた。寮の前で事務長と話していた男性の一人が、確かに船橋だったのだ。

「何って?」船橋の眉がぴくりと動いた。「何かあったのかい?」

彼の声のトーンが微妙に変わった。警戒するような、探るような響きが混じっている。

「夜遅くに寮の外で事務長と話をしていましたよね」

「あぁ、あれね……」

船橋は少し間を置いてから答えた。

その間に、彼の表情が一瞬強張ったのを僕は見逃さなかった。

「仕事の話だよ」

笑顔に変わりはないが、その笑顔が作り物めいて見える。

口元は笑っているのに、目が笑っていない。

「仕事って、こちらの施設の件ですか?」

「誰かと勤務を替わってくれって頼まれてね」

船橋の視線が再び宙を泳いだ。

彼の指が無意識にポケットの中で何かをもてあそんでいるのが分かる。

「それは昨夜の夜勤のことですか?」

「そうさ。突然の話で……まいったよ」

最後の言葉が少しかすれた。まるで自分自身に言い聞かせるように。

「ということは、あれからずっと夜勤をされていたと?」

「その通りだよ」

船橋は今度ははっきりと答えたが、その直後、彼の喉仏が小さく動いた。唾を飲み込んだのだ。

僕は確信した。船橋は嘘をついている。

聴覚障害者である僕は、人の表情や仕草を読み取ることに長けている。

言葉以外のすべてのサインが、船橋の話に矛盾があることを告げていた。

彼が隠している何かがある。それは間違いなかった。

船橋と別れた後、僕はいつものように介護業務に取り組んだ。


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しかし、休憩時間になるたびに施設内の各部署を回り、勤務記録に目を通した。昨夜の夜勤者の名前を探してみたのだ。

ところが、どの記録にも「船橋 一樹」の名前は見当たらない。日勤スタッフに聞いても、誰も彼が夜勤をしたことを知らなかった。

僕は困惑した。

もしかすると、急遽代理で入った勤務が正式に記録されていないだけかもしれない。

つまり、誰かの代わりに働いたが、その事実を知る者がいないということも考えられる。

姿なき夜勤介護者──。

誰だって、小さな嘘の一つや二つはつくものだ。そう自分に言い聞かせようとした。

その夜、またしてもアイドラゴンで奇妙な放送が始まった。

前回と同様、画面がフリーズし、音声も途切れ途切れだった。

フリースペースでくつろいでいた女子たちが、手話で不快感を表していた。

〈またこの男ね〉

〈きっとフェイクニュースよ。ネットで悪さしてるのよ〉

女子の一人が立ち上がり、モニターの電源を切った。

再起動すると、元の放送画面に戻る。

若い女性アナウンサーが手話で通常のニュースを伝えている。

〈こうすれば良いのよ〉彼女は得意げに手話で言った。

僕を含め、フリースペースにいた皆がクスクスと笑った。

その時、たまたま僕と平石のそばにいた船橋が、慌てたように席を立った。

テレビ画面を鋭く見つめながら、足早にフリースペースを出て行く。

窓から外を見ると、彼が寮近くの老人ホームへ向かって駆けていく姿が見えた。

その光景が、なぜか強烈に気になった。

僕はトイレに行くふりをして、そっと寮を抜け出した。

平石は何も気づかず、復旧したテレビに見入っている。

時刻は午後八時。施設は入所者の個室がある二階の一部に明かりが灯っているだけで、一階の事務所は真っ暗だった。

船橋に気づかれないよう、僕は慎重に後をつけた。

施設の駐車場まで来ると、彼がそのまま建物の中に入るものと思ったが、意外にも施設を素通りして敷地の奥へ向かっていく。

船橋が辿り着いたのは、この地区の公民館だった。

寄棟屋根の白い建物で、「花咲町民ホーム」と書かれた看板が掲げられている。

大きな引き違い戸の正面玄関があったが、船橋は建物の裏手に回り、小さなドアから中に入った。

館内から漏れる灯りが見える。この時間にまだ何かの活動が行われているらしい。

花壇に埋め込まれた蓄光ライトが、建物をほのかに照らしていた。

僕は闇に身を潜めながら、そっと建物に近づいた。

周囲に人影がないのを確認すると、船橋が入ったドアから公民館の中へ足を踏み入れた。

つづく

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