第29話 真実は蜘蛛の巣だらけ
凍てつく風が吹き抜けるウインドベルのK4地区。
年が明けても、この街の喧騒は何も変わらない。
リプリーにとっては、いつもの新年なのかもしれない。
しかしオットーとケンジにとって、この年末年始は、嵐の中を走り回っているようなものだった。
チェインバーグから戻ってきたのは、十二月二十九日。
普通なら、仕事納めだとか大掃除だとか、そんなことを考える時期である。
ところが二人には、それどころではなかった。
パルチノン薬害に関する、過去の調査資料を探さなければならない。
「確かにあるはずなんだ」
オットーはそう言った。
「どこにですか」
「それが分からん」
「所長が分からないものを、僕に探せと言うんですか」
「私一人で探すより、二人で探したほうが早いだろう」
「そういう問題なのかな」
自然科学研究所には、膨大な数の資料が保管されている。
古い研究報告書、観測記録、実験データ、行政機関から送られてきた文書。
その数は百万近い。
もっとも、正確に数えた人間がいるわけではない。
百万くらいあるんじゃないか、と誰かが言った数字が、そのまま研究所内の常識になっているだけだった。
二人は書架という書架を探した。
地下の資料室も調べた。
オットーの所長室に積み上げられていた古いファイルまで引っ張り出した。
見つからなかった。
「捨てたんじゃないですか」
「そんなはずはない」
「じゃあ、誰かが持っていったとか」
「それもない」
「だったら、あるんでしょうね」
「あると言っているだろう」
「どこに?」
「それを今、探しているんだ」
こんな会話を、年末から何度繰り返したか分からない。
年が明けた。
一月一日も探した。
二日も探した。
そして一月三日。
研究所の裏手にある古い倉庫で、ケンジはとうとうそれを見つけた。
「所長!」
倉庫の中から、ケンジの声が響いた。
「ありましたよ!」
オットーが杖をつきながらやって来た。
倉庫の入り口で立ち止まり、ケンジを見た。
「……お前、何をしていたんだ」
「だから、探してたんですよ」
「そうじゃない。その格好は何だ」
ケンジは自分の身体を見下ろした。
頭から肩、腕に至るまで、蜘蛛の巣が絡みついていた。
白い糸が髪の毛にまでまとわりついている。
「仕方ないでしょう。こんなところに置いてあるから」
「蜘蛛はいなかったか」
「今それを言わないでください」
ケンジは慌てて頭を払った。
オットーは笑った。
「笑わないでくださいよ」
ケンジは蜘蛛の巣を払いながら、古びたファイルを差し出した。
表紙には、薄く文字が残っている。
パルチノン食品工業。
オットーの表情から笑みが消えた。
ファイルを受け取り、その場でページをめくった。
紙は黄ばんでいた。
しかし、中身は残っている。
当時の廃液調査。
採取した試料。
検出された物質。
そして、巨大化した昆虫についての記録。
「これだ」
オットーは呟いた。
「間違いない」
ケンジは大きく息を吐いた。
「だったら、最初からここに置いたことを覚えていてくださいよ」
「私が置いたとは限らん」
「じゃあ誰が置いたんです」
「知らん」
「もういいです」
翌日、オットーは必要な資料をコピーし、リプリーに届けた。
これで一段落。
少なくともケンジは、そう思いたかった。
研究所の廊下を歩きながら、まだ髪に残っていた蜘蛛の巣を一本つまみ取った。
「やれやれ……」
ため息が出た。
巨大なハエ。
パルチノン。
昔の薬害事件。
そして、倉庫の奥から出てきた古い資料。
どう考えても、これで終わる話ではない。
むしろ今まで蜘蛛の巣の向こうに隠れていたものが、ようやく姿を現しただけなのかもしれない。
