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ケンジはレストラン「サム」へ顔を見せた。
リンダはチェインバーグからサムの元へ戻ってきているはずだったが、また勤めに出たとのことだった。
チェインバーグの頃に手にした賞与に味をしめて、近所のIC工場で働き出した。
家事一切をこなせる旦那を持つ妻は、ひたすら太るかやみくもに働くことによって、ウサを晴らすのかもしれない。
もちろん今度はサムたちとは同居だ。
エミリーとアレンは同じ学校へ通っていた。
まだ午後に入って、間もないころだった。
外は曇り空。
レストランの窓から、ゴミ回収の職員が喧嘩しているのが見えた。
回収車の運転手と回収係の人間が大声で怒鳴りあっている。
運転手にしてみれば、時間通りに作業を終え、無駄なくタイムカードに打刻したい。
回収役にしてみれば、可燃ゴミ袋の中の不燃物が気に食わない。自分のポリシーに反するので回収車に放り込む気になれない。
商人気質と職人気質。
ケンジは向かいのテーブルで、帳簿の整理をしているサム・フックスを見た。
彼はオーバーオールに、赤いセーターを着ていた。
首が短いのに、トックリのセーター。
スーパーマリオに見えなくもない。
「ケンジ。オットー所長がおとといココに来てね、お前のことを話していたよ」
「どうせ、俺の精神状態がどうのこうのと」
「いや、そうじゃない。どうして就職しなかった」
「まだ、良く分からないんだ」
「何が、だ?」
「自分の希望が」
「希望?」
サムはそう言って、笑った。
…希望通りにいくのが、お前の人生観か…
「いいか、ケンジ。人間は食っていかなきゃならない。そのためには金が必要だよな」
ケンジは面倒臭そうに頷いた。
「どういうつもりなのか、聞いてくれと、オットー氏に頼まれた。どういうつもりだ?」
「まだ考えがまとまらないんだ」
「まとまるまで、どれくらいかかるんだ」
「分からない」
サムは、また笑い出した。
最近、お前のような若者が多いな、と彼は言った。
「どうしても納得いかなければ、金も稼げないのか。気に入らない仕事なら、信頼をドブに捨てるような真似を平気でする。お前たちは甘いよ」
「そうじゃないんだ。進路だったら、十分考えたよ、サム」
「ほう、それでお前はいったい何をやりたいんだ」
「笑うから言わないだけだ」
サムも分かっているはずなのだ。
「ごめんよ、サム。自分で所長に掛け合うつもりなんだ」
「分かっているさ。駄目だったら、どうするんだ」
「駄目だった時に、また考えるよ」
サムは頷いた。
サムは帳簿を閉じて、テーブルを片づけ始めた。
帳簿整理が終わったのか、馬鹿馬鹿しくなったのか、どちらかは分からない。
もし所長を説得できたら、俺も経理を勉強しなくちゃ、ケンジは思った。
ケンジはサムの言葉を反芻しながら、レストランを出た。
外の曇り空は、彼の心の中のもやもやと重なっていた。
彼はオットー所長の研究所に向かうことにした。
研究所に到着すると、オットー所長が実験室で忙しそうにしているのが見えた。
ケンジは深呼吸をして、ドアをノックした。
「所長、お時間よろしいでしょうか?」
オットーは顔を上げ、ケンジを見つめた。「ケンジ、どうしたんだ?改まって」
「実は、所長にお願いがあって来ました。私はここで働きたいんです」
オットーは眉をひそめた。
「君がここで働きたいとは思わなかったな。理由を聞かせてくれ。」
ケンジは一瞬ためらったが、心を決めて話し始めた。
「リプリー警部補や所長との冒険を通じて、科学の力に魅了されました。一般企業には興味が持てなくて、ここで研究を続けたいんです」
オットーはしばらく黙って考え込んだ後、静かに言った。
「ケンジ、君の情熱は理解できる。何か面白そうだったんだろ?しかし、ここで働くには相応の覚悟とスキルが必要だ。君はその準備も必要だな」
ケンジは自信なさげに頷いた。
「はい、所長。努力します」
オットーは微笑み、手を差し出した。
「よし、君の決意を見せてもらおう。まずはこのパルチノン公害訴追の調査資料の作成を手伝ってくれ」
ケンジはその手を握り返した。
「それではまず…」
オットーは言いよどみ、やがて口を開いた。
「コーヒーを入れてくれ」
ケンジは失笑したが、嫌な思いはしなかった。
踵を返し、コーヒーメーカーの置いてある部屋へ向かった。
青年は新たな冒険の始まりを感じた。
つづく
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