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五人の少年たちは、大黒屋の主人にしばらく座敷で過ごすことを許され、一息ついていた。
疲れた身体を休めるため、それぞれ気ままに床に就いていたが、静香に風呂を勧められ汗を流した。
よほど臭かったのだろう。
道着も洗濯してもらった。
静香が持ってきたお茶を飲みながら、のんびりとした時間を過ごす中、猿渡飛雄は手の中に隠していた茶菓子の饅頭を見せびらかし、布団の中の陽向をからかった。
〈ヒナタ、ほぉーら。食べたらダメだよぉ〉
ふざけた手話と笑顔。
〈飛雄、お前性格悪いなぁ!!〉
陽向がムッとした顔で手話を返すと、部屋に軽い笑い声が広がった。
横井岳人が手話で〈元の世界に帰ったら、陽向のママがスリムになった息子を見て、きっとこう言うぞ。『あんた、誰よ?』〉と変顔でおどけた。
それを見た武蔵春信は、少し困惑した表情を見せたが、すぐに笑みを浮かべて「ハハハ….. 何だかさっぱり分からぬが、そなたらは人を愉快にさせるのがお上手のようだ」と返した。
武蔵と大黒屋は顔を見合わせ笑った。
この日は、大黒屋の主人が武蔵春信を招いていた。
武蔵は、厳しい顔つきの男だったが、意外にも温和な物腰だった。
側にいる静香も楽しげだった。
「おぬしらの時代は、平和なんじゃのう」
武蔵はそう言い、朗らかに笑った。
松井大和は悪乗りする仲間たちをたしなめて、真面目な表情を取り繕った。
「それにしても、藩の剣術道場がご家老の無神経な要求で廃れてしまうなんて、驚きですね」
大黒屋は深いため息をつき、言葉を続けた。
「だいたい、合志十右衛門様というご家老は…」
武蔵が「大黒屋殿…おやめなさい。客人の前で」と制止した。
しかし、大黒屋も引かず、強引に言葉を続けた。
「少々お言葉を頂戴いたします。さもなくば、この胸の内が治まりませぬ」
大和は大黒屋の言葉に頷いた。
「僕が言うのはなんだけど、ここまでの話、ご家老が藩の政治を完全に牛耳っている感じですね」
大黒屋は重々しく頷いた。
「仰る通りでございます。あのご家老様はご自身の意向を通すためならば、どのような手段も厭わぬお方。藩内でもご家老様に逆らい、刺客に斬られて命を落とした者が何人いることか…」
佐々剛介は手話で大和に訊ねた。
〈ご家老のそんな無法を、みんな黙って見ているだけ?〉
松井大和はその疑問を大黒屋に伝えた。
「誰も何も言えないのか、と言っています」
大黒屋は悲しげに首を振った。
「大久保殿がお元気なときにはご家老に意見を申し上げることができましたが、今はご体調が優れず、お城にお越しいただくこともできません。直接お話しする者もいない状況です」
武蔵春信は再び大黒屋を制止した。
「大黒屋殿、ご家老様の悪口はその辺でお控えいただきたい」
側で聞いていた静香が、武蔵に向かって言った。
「武蔵様は、やがて道場のお嬢様とご縁を結ばれるお方…」
武蔵は「静香さん…それは」と言いかけた。
しかし、大黒静香は続けた。
「いえいえ、いずれ御指南役の跡をお継ぎになった暁には、武蔵様がきっと明確なお考えを示してくださると信じております」
武蔵春信は苦笑した。
「思いの外、高き評を賜ったものだな。ハハ…」
そして、真剣な表情に戻って言った。
「誰かがお上に意見を申し上げねばならぬのは確かだが…静香さん、残念ながら私は史恵殿と夫婦になるつもりはないんですよ」
「えっ?」
静香は怪訝な顔で首を傾げた。
その時、庭に男が駆け込んできた。男は誰かの名前を呼んでいた。
武蔵春信は驚いて、「真丸じゃないか。真丸、どうしたのだ?」と訊ねた。
「父上、いや大久保先生がご家老にお目通りするように言われたそうです」
大久保真丸は手真似を交えながらの、呂律が良く回らない話し方だった。
武蔵春信は眉をひそめた。
「ご家老のお呼び出し、だと?」
静香は提案するように「武蔵さん、先生のお身体のこともあるし、一緒に行ってみては?」と言った。
武蔵は頷き、「そうだな、行こうか…真丸」と答えた。
大黒屋は心配そうに、「どうかご無事で」と言った。
その時、武蔵春信が縁側で転倒した。めまいのように身体がふらついていた。
大久保真丸が駆け寄った。
「武蔵先生、どうか致しましたか?」
武蔵春信は苦笑した。
「気が急いて、とんだ手違いをいたした。すまぬ…真丸」
大和は静香に向かって訊ねた。
「あの、静香さん。真丸さんは…」
大黒静香は悲しげに答えた。
「そうなの、聴こえないの」
大和はメンバーを手招きし、手話で、「ちょっと、心配だな。俺らも行ってみるか」と言った。
大黒静香は両手を合わせて、「お願いします」と頼んだ。
佐々剛介、横井岳人、猿渡飛雄は頷いた。
岳人は静香に向かって「まだ下痢してるみたいなんで、陽向をよろしくお願いします」と頭を下げた。
つづく
