13
夕闇の中、武蔵春信と大久保真丸は息を切らせながら道場に駆け込んだ。
彼らの後ろには、時空を超えてきた五人のろう剣士たちが続いていた。
道場の中庭では、大久保史恵が不安げな表情で立っていた。
「殿は何事にて先生をお呼び立てなされたのでござろうか?」
武蔵は急かすように尋ねた。
史恵は首を振り「内密とのことでした」と答えた。
その言葉に武蔵の眉間にしわが寄った。
「それは腑に落ちぬ」
武蔵はつぶやくように言った。
彼の表情には深い懸念の色が浮かんでいた。
「真丸、急ぐぞ」
武蔵は決意を固めたように言い、真丸に向かって頷いた。
しかし、その時武蔵は気づいた。
ろう剣士たちは皆、丸腰だった。
彼は即座に「ここは剣術の道場じゃ。各自合う物を取ってゆけ」と促した。
真丸は武蔵の言葉に従い、道場の武器置き場から木刀を取り出し、ろう剣士たちに手渡した。
〈ぼ、木刀だぜ、これ〉
猿渡飛雄は目を丸くして手話で伝えた。
その表情には驚きと少しばかりの興奮が混ざっていた。
〈重いな。葛西道場は竹刀だったのに〉
横井岳人は木刀を振りながら、顔をしかめた。
その動きは不慣れで、ぎこちなかった。
松井大和が思い出したように手話で言う。
〈そういえば、竹の竹刀が使われ始めたのは、江戸時代中期だったと思う〉
大和は手話こそ拙かったが、歴史知識だけは豊富だった。
〈つまり木刀から竹刀への過渡期にあるってこと?〉
岳人の問いかけに、大和は静かに頷いた。
真丸に軽い竹刀は無いかと尋ねてみたが、真丸は怪訝そうに首を傾げるだけだった。
なぜか佐々剛介が真丸の前へ一歩歩み出た。
〈本物の刀は無いのか?〉
剛介の手話に他の四人は驚いた。
岳人が呆れたように言った。
「本物の刀って、お前…」
若者たちの議論に、武蔵が割って入ってきた。
「打刀(うちがたな)などいらぬ。おぬしらは木刀で十分じゃ」
剛介が不服そうに手を動かした。
〈だって、向こうは真剣なんだろ〉
武蔵は気色ばんで剛介を睨んだ。
「おぬしらに殺生をさせるわけにはならん。もういい。ここに居れ」
ろう剣士たちは顔を見合わせた。
「真丸、参るぞ」
武蔵春信と大久保真丸は駆け足で道場を出た。
その背中には焦燥と緊張が滲んでいた。
「ここに居れ」とは言われたものの、四人は木刀を握りしめ、駆け出していた。
ろう剣士たちは、二人のあとを追って城へ向かった。
夜の静寂の中、彼らの足音だけが闇を揺らしていた。
〈すっかり道場で暇を食っちまったね〉
岳人は息を切らせながら手話で仲間たちに伝えた。
〈木刀を借りる時、剛介が真剣を貸せって言い出すもんだから、時間を食っちまった〉
猿渡飛雄は少し迷惑そうに返した。
〈ということは、僕らが真剣を使いこなせないって、武蔵さんお見通しってことかな〉
剛介が言うと、大和は考え込むように言った。
〈うーん、分からんけど。実際、使ったことないだろ。剣道の試合とは、また随分違うぞ〉
〈小手で手首がすっ飛ぶってことか?〉
剛介が愉快そうに手話で言った。
〈馬鹿。お前は少しおかしいぞ、剛介〉
飛雄がたしなめるように皆を急かした。
〈早いとこ大久保先生に追いつかないと…〉
しばらく路地を駈けていくと、突然、前を行く二人が立ち止まった。
駕籠が停まっている。
駕籠の周りに人集りができていた。太刀を手にした侍が取り囲み、全員頭巾を被っていた。
飛雄と剛介は顔を見合わせた。
〈あれは、斬り合いだな〉
四人に緊張が走った。
武蔵春信が立ち止まり、大声で言った。
「顔を隠したおぬしら。闇討ちだな!」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、暗がりで太刀の輝きの揺らめきが見えた。
「斬れ!」という叫び声とともに、黒装束の刺客たちが襲いかかってきた。
「貴様ら!」
武蔵春信の怒号が夜闇に響き渡る。
武蔵の木刀は、息つく間もなく振り下ろされた。
武蔵の木刀が一閃し、最初の刺客の刀を弾き飛ばした。
続けざまに、彼はもう一人の刺客の腹部を木刀で突き、相手は苦痛の声を上げて倒れた。
真丸もまた、木刀を巧みに操り、敵の攻撃をかわしながら反撃を繰り出していた。
ろう剣士たちも負けじと、木刀を振り回し、次々と刺客を倒していった。
「殺傷はしたくないが、おぬしらが望むならやむを得ない…」
武蔵は刺客が落とした真剣を拾い上げ、上段に構えた。
刺客は刀を防ごうとしたが、武蔵の一撃は重く、彼の防御を打ち破った。
刺客は地面に崩れ落ち、息絶えた。
一瞬の混乱の後、刺客たちは「引け!」という命令とともに暗闇に消えていった。
「先生! しっかりして下さい」
武蔵は倒れかけている大久保藤淳を支えた。
〈おケガは?〉
真丸は心配そうに父親に尋ねた。
「大丈夫だ…」
藤淳は弱々しく答えた。怪我はなかった。
駕籠には大刀を外して乗る。恐らく小刀のみで防御しながら、身をかわすのが精一杯だったのだろう。
普段は病床で寝ている身だ。顔面蒼白し、呼吸が苦しそうだった。
「武蔵さん。とにかく先生を道場へ」
大和が言った。
「おぬしらにも手を煩わせて、かたじけない。さあ、先生」
武蔵は礼を述べつつ、藤淳を抱えるようにして立ち上がった。
闇の中、一行は緊張しながらも互いの無事に安堵し、ゆっくりと道場へと戻っていった。
つづく
