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夕暮れの光が道場の庭を柔らかく照らしていた。
大久保藤淳は、普段はほとんど病に伏せて寝ているのだが、この日は珍しく立ち歩き、家の中で気丈に振る舞っていた。
史恵は父の顔を見つめ、不安げな表情を隠せない。
「父上、真丸にお供をさせましょう」
史恵は静かに言った。
藤淳は首を横に振り、「いらぬ」と短く答えた。
その口調には、娘を心配させまいとする強い意志が込められていた。
「そう仰せられても…」
史恵は言葉を続けようとしたが、藤淳は手を上げて制した。
「殿が内密に駕籠まで迎えに差し向けたのだ、余計な案じは無用じゃ」
藤淳はたしなめるように言った。
その声には、武士の気高さが感じられた。
史恵は父の言葉に従い、深く頭を下げた。
やがて屋敷に駕籠が到着した。
「お待たせした」
藤淳は迎えの者に一礼し、駕籠に向かって歩き出した。
門の前には、駕籠が静かに待っていた。
駕籠かきたちは無言で藤淳を迎え入れ、その姿勢には心なしか緊張感が漂っていた。
藤淳は一瞬立ち止まり、史恵に向かって微笑んだ。
その微笑みには、娘の心配への気遣いが伺えた。
史恵は父の背中を見送りながら、無事を心の中で祈った。
先日の牛俵重蔵の姿が頭に浮かんでいた。
駕籠が静かに動き出し、藤淳はその中で目を閉じた。
史恵は駕籠をじっと見送った。
杞憂であって欲しい…。
彼女の胸には、言いようのない不安と無力感が重くのしかかっていた。
静かな庭に、夜の帳が降りてきた。
つづく
