18
リンダは近所の工場に勤めていて、この時は出勤時間が迫っていた。
時刻は16時20分。
あと一時間で準夜勤の交代時間なの、とリンダは言った。
中学生のアレンは冬休みで、一日中家にいるということだった。
エミリーから頼まれた用件は、切り出す必要はなさそうだった。
エミリーは、ただ母親に俺を会わせたかっただけかもしれない、あるいはアレンに。
「あの、僕はもう帰ります。色々心配してる様子だったので、エミリーにお話してあげてください」
もう帰っていいだろう。これでエミリーも満足するだろうし。
気が付けば、辺りは既に夕暮れ時だった。
今朝、チェインバーグに到着した時に、ホテルを予約していた。
ケンジはアレンに、そのことを言った。
リンダが横から言った。
「だったら、夕食を食べていきなさい。アレンと『レッド・ブーツ』で、食べたらいいわ」
アパートからそう近くない場所で、アレンと食事を摂ることにした。民家を少し大きくしたような店だった。
「レッド・ブーツ」の看板が無かったら、それとは気が付かないくらい控え目な店だった。
オープンキッチンと大書きされた木の看板が玄関にあり、メニューも一応揃っていたが、店の規模からして、元は喫茶店らしかった。
大きな出窓があり、そこからの外光だけでは物足りなくて、天井はトップライトになっていた。
とても明るい雰囲気だった。
主人は小男で、低めに造り付けたシンクで洗い物を片付けていた。
テーブルは白木のものだった。ギターに使う素材のように、木目が詰まっている。卓は四つ置かれていて、客席はそれだけだった。
レジスターも置いてなければ、TVもない。
客がひけた昼下がりに、本を読むのに格好の店だった。
カウンターと酒棚を改造し、厨房にすれば、こういう店はすぐ出来るのかもし
れない。
「ここのフルーツパフェは美味しいのよ」
アレンはケンジに言った。へたに調子を合わせると、とんでもないものを食う羽目になりそうだった。ケンジはウヤムヤな返事をした。
「エミリーはどうしてた?」
「元気だよ。俺がなぜ、あんたたちに会いにきたのか、分かっているのかい」
「あら、遊びにきたんじゃなかったの」
「そういうつもりじゃなかった。俺としては、もっとややこしい問題を頭に抱えて、ここへやってきたんだ」
「あの男のこと?」
「あの男がそうなのか」
アパートの前にいた男が、彼女の母親に横恋慕しているのだ。
「俺は今日、たまたまそいつに出食わしたのかい、それとも」
「そうよ。毎日やってくるのよ。ママの職場の上司なの」
ケンジは哀れなサム・フックスの顔を思い浮かべた。リンダのような美形を妻にするから、こういう苦労をしなきゃならない。
彼はこんな事情を知らずに、律儀に店を開け、この店の主人と同じように、シンクに手を突っ込んで、ソテー鍋を磨いているのだ。
「俺が今考えているようなことは?」
「何が?」
「つまり、その」
「大丈夫よ、心配しないで。あの手の問題なら、彼女は数えきれないくらい切り抜けてきているのよ」
やれやれ、美女の特有のうぬぼれ。
「なあ、ハドリバーグの男には、手に負いかねる問題なんだけど、尋ねてもいいかい」
「何よ」
「リンダはいったい何をやっているんだ」
「えっ?」
「だってそうだろ。家を飛び出しては、男に追い回されるなんて泣きついてくる。君がエミリーに言ったことだって、ママに頼まれたからだろ。俺だって、それくらい分かるさ」
アレンは言葉に詰まった。
「帰りたがっているのよ」
「サムに謝るのが、そんなに嫌なのかい」
「パパは冷たいと思うわ。だって、本当に好きなら、帰ってくれと言うはずだわ」
「違うね。テレビや小説じゃないんだ。少なくとも、ウインドベルの男は良い意味でも、悪い意味でも寛容なんだ」
「どう寛容なのよ」
「リンダの好きにすればいいってことさ」
「そういう寛容さは、分からないわ」
店の前に、冷凍室の付いたトラックが止まっている。ケンジは何かを思い返していたが、やがてアレンを見て、尋ねた。
「キミは本当にエミリーの姉アレンかい」
「そうよ。どうして?」
「エミリーに聞いていた感じと、随分違う」
「どう違うの」
「エミリーの話を聞いたところによると、君は気弱な感じがしていた」
「それはエミリー本人のことよ。好きな男の子ができて、親や兄弟に見せたがる女の子なんて気弱なものよ」
「どうして」
「裏切られないように、そうするの」
解るような、解らないような指摘だった。
そんなことより料理を頼みましょうよ、とアレンは言った。
「ご注文は?」
店の主人がやってきて、二人に尋ねた。自分で刺繍したらしい、メタリカのワンポイントが入った白い前掛けを着けていた。器用な男だ。
ケンジは鰺のクリーム煮を頼んだが、コックが、魚をきらしている、と言った。アレンはフルーツパフェとカフェド何とか、という飲み物を頼んだ。
この店のメニューには、その手の飲み物が腐るほどあった。
ケンジはメニューを一通り見た後、カレーライスを頼んだ。
「カレーライスですか?」
だって魚はないんだろ…。あぁ、そうか。安いからか…。
「それじゃ、カツカレーを」
主人は調理場に戻っていった。
「ウインドベルの男って、どうしてこんなにカタブツなのかしら、女の子と話してるのにカツカレーを注文するのね」
アレンは言った。分かっているのだが、腹が減って仕方がなかった。ケンジは頭を掻いた。
「カレーのニオイを嗅ぎながら食べるパフェもオツなものだわ」
元々デートしてるつもりもないし…さ。
似たような男が、もう一人チェインバーグに来ているのだが…。
つづく
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