26
朝になると僕はマスクを着け、ホテルの外で食べ物を買って戻ってきた。
朝早いというのに、ホテルのロビーには昨日の昼間と同じように人で埋まっていた。
やはり彼らはこの辺りの住民たちで、住居が破壊され、帰る場所がないのだ。
僕はエレベーターで2階に上ると、買い物が詰まったレジ袋を抱え直し、平石がドアを開けるのを待った。
すると、誰かが後ろから肩を叩いた。
「春日くん」
振り返ると、背後にサングラスをかけた小太りの男が立っていた。
職員寮でリーダーをやっていた、船橋だった。
平石がドアを開けた。船橋の姿を見るなり、驚き、そして安堵の表情になった。
〈無事だったんだ〉平石が言うと、船橋はぎこちない手話で〈ああ、君たちもな〉と答えた。
僕と平石は部屋の中で船橋との再会を喜んだ。
船橋は妙にそわそわしていて落ち着きがなかった。
僕は〈相変わらず忙しそうですね〉と手話した。
平石がいるので、会話は全部手話だ。
〈そうなんだ。ゆっくりできないんだ〉
船橋は申し訳なさげに手話で答えた。
〈君たちもやがてここを出ていかなきゃならないんだろ?〉
そう言えば、あと4時間でチェックアウトの時間だ。
船橋はろくに一服もしないうちに、壁に寄りかかりメモを書き出した。
〈今夜はここに来いよ。警察や自衛隊に出会ったら、迂回して撒いてくれ〉と手話しながら、僕にメモを手渡した。
メモを受け取ったが、上下をひっくり返したりして、無造作に描かれた地図を凝視した。
平石もメモを覗き込み首を傾げた。
〈この二本線は何なんだよ。チグリス・ユーフラテス川かよ〉
全然、分からん。
〈番地を教えてくれない? スマホのナビなら簡単だよ〉
〈ナビはダメだ。奴らが追跡してくる〉
〈だったら、GPSをオフにするからアプリに地点登録させて〉
〈しょうがないな〉
平石がスマホを差し出すと、船橋は画面をタップして教えてくれた。

船橋に聞いておかなければならないことは、他にも山ほどあった。
僕も平石も船橋の手話での指示に頷いた。
〈たぶん現時点で戦えるのは、俺たちだけだ〉
船橋はそう言ってから、二人にトイガンを手渡した。
これまで手にしていたものとは違う。カラーリングは一緒だが、一回り小さいサイズの銃だった。
〈使い方は分かるか?〉
僕らは頷いた。
〈これは最新式の3D銃だ。コンパクトだがもっと威力があるぞ〉
〈ちょっと待って〉僕はとっさに質問した。〈『3D銃』って言うんですか、これ〉
長年の疑問だった。
〈ああ、『スリーディーじゅう』って呼んでる〉
〈何で?〉
〈詳しくは知らんが、3Dプリンターで作ったらしい〉
僕と平石は銃を受け取ると、僕はリュックの中へ、平石はジーンズのウエスト部分に突っ込んだ。
船橋は銃を手渡すと、慌ただしく部屋を出て行った。
夜になるのを待って、2人はホテルを出た。
裏通りは昼間よりも、だいぶ人気が少ない。
通りには警官の姿も自衛官の姿もない。どこに潜んでいるのやら。
元々人間は夜行性ではないのだから、やつらの姿が見えなくても不思議ではない。
二人は並んで歩道を歩き、曲がり角を右に曲がると、路傍にある小さな階段を登っていった。
階段の先には廃ビルがあり、ビルの玄関には屈強な一人の男が待ち受けていた。
男は二人を手招きし、低い声で尋ねた。
「合言葉は?」
僕が何のことかと首をかしげると、平石は右手を扇ぐように動かした。
〈合言葉なんて聞かなかったぞ〉
〈海だったかな? 山だったかな?〉
僕らが首を傾げていると、男はニンマリと笑って、両手の人差し指を絡めるようにクルクル動かした。
意味がよく分からなかったが、ひょっとして「手話」?
〈こんばんは。船橋という人からここに来るように言われて……〉
と手話で話しかけた。
男は無言でビルのドアを開け、中へ入れてくれた。
合言葉に答えられた自信はないが、どうやら彼は、来訪者が手話を使えるかどうか試したようだ。
つづく

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